追悼キース・フリント、ザ・プロディジーが97年のグラストンベリーで見せた怪演を振り返る

1997年撮影のキース・フリント(Photo by Kelly Henderson/Toronto Star via Getty Images)

1997年のグラストンベリー・フェスティバルで、ダンス系アクトとして初めてヘッドライナーを務めたザ・プロディジー。「ファイアスターター」の熱狂的パフォーマンスによって、彼らは音楽史に新たな1ページを刻んだ。キース・フリントを偲びつつ、その歴史的怪演を振り返る。

イギリス出身のテクノ・パンク・バンド、ザ・プロディジーのフロントマンことキース・フリントが自殺により亡くなったことが、3月4日の朝に伝えられた。フリントは元々、1990年からバンドのダンサーとして参加していたが、1996年のヒット曲「ファイアスターター」での冷笑的でニヒリストなスタイルで(フロントマンとして)デビューした。この強烈なブレイクビートの名曲は世界中にバンドの名を轟かせるきっかけとなった。「ファイアスターター」が収録された1997年のアルバム『ザ・ファット・オブ・ザ・ランド』はその夏のナンバー1ヒットとなり、同年、ダブル・プラチナ・ディスクとして認定された。

ザ・プロディジーは同アルバムをリリースするほんの数日前、イギリスのグラストンベリー・フェスティバルで、自らの世界的スターとしての影響力を茶化すような、ヘッドライナーにふさわしい爆発的なパフォーマンスを見せた。このイベントでエレクトロ・バンドがヘッドライナーを務めたのは初めてのことであった。リアム・ハウレットがターンテーブルを操り、青髪のサポート・ギタリスト、ギズ・バットがステージ内外で(本当に)半狂乱になって跳ね回る一方、フリントはトレードマークでもある逆モヒカンで、ずたずたに裂かれたユニオン・ジャックの旗をまといながら今にも燃え上がりそうな勢いでステージを歩き回り、下劣な言葉を吐き出している。ザ・プロディジーのグラストンベリーでのライブは、EDMがクラブシーン以外でも存在感を高め、その後も長きに渡って夏フェスの定番になるきっかけとなった。しかしながらこのエセックス出身のならず者軍団ほど扇動的なアーティストはいない。



フリントが参加した最後のアルバムとなった2018年の『ノー・ツーリスツ』のリリース後、バンドはイギリス、ヨーロッパ、アメリカに及ぶワールド・ツアーを予定していた。グラストンベリー・フェスティバルの主催者であるエミリー・イーヴィスによるとザ・プロディジーは今年、このフェスに再び出演する予定であった。彼らの1997年のライブを、「あまりにも大きく忘れられない瞬間」だと彼女は語っている。


(※ツイート訳文)
「キース・フリントの訃報を聞き、私たちは悲しみにくれています。彼はザ・プロディジーの一員として、ここで本当に何度もプレイしてくれて、2019年も出演が決まっていました。本当に信じられないようなフロントマンでした。これは彼らが初のダンス系バンドとしてグラストンベリーのヘッドライナーを務めた97年のビデオです。あまりにも大きく忘れられない瞬間です」

Translated by Takayuki Matsumoto

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