1997年、フリントはローリングストーン誌の表紙を飾り、彼のカーニバル風パンクルックにインスパイアされた“ウィアード・アル”・ヤンコヴィックは、パロディ動画「Lousy Haircut」を制作した。
人気の絶頂にあった時期に5年間レコーディングしなかったプロディジーとフリントは、2002年にシングル「Baby’s Got a Temper」をリリース。フリントによる歌詞は、デートレイプ・ドラッグのロヒプールを称えるような内容だったため、ハウレットは後に同曲との関係を否定。『The Fat of the Land』に続くアルバム『Always Outnumbered, Never Outgunned』(2004年)に収録予定だったが、除外された。同アルバムのヴォーカルは、フリントに代わって複数のゲストが務めた。
ザ・ケミカル・ブラザーズは、「キース・フリントの死に際し、とても悲しみに沈んでいる。プロディジーとは何年にも渡り多くのライヴで共演した。メンバーは皆フレンドリーで協力的だった。彼は驚くべきフロントマンで、実に独創的な人間だった。彼の冥福を祈る」とツイートしている。