2度の助演男優賞受賞、マハーシャラ・アリという生き方

彼はマハーシャラ・ギルモアとしてオークランドに生まれた(2000年にイスラム教に改宗して改名)。母は16歳、父は17歳であったが2人の関係は長くは続かなかった。「もし一緒にいつづけたらお互いがなるべき人間になれなかったんだろうね。母は結局、聖職者になったし、父は自分の道を進んだ。2人は合わなかったんだ」とアリは語る。

ハーシャルと呼ばれていた彼が3歳の時、父フィリップ・ギルモアはソウル・トレイン・ダンスコンテストで2500ドルを勝ち取りニューヨークに移り住んだ。ダンス・シアター・オブ・ハーレムでバレエを学び、後にミュージカル劇場で仕事をするようになる。ブロードウェイ・ミュージカル『ドリームガールズ』や、映画『マルコムX』でジルバダンサーとして出演した。アリは年に1度、父に会いに行っていたが決してそれで充分ではなかった。家に戻ると自分のホームタウンが小さく感じられた。

一方、彼の母は床屋で生計を立てていたが、やがてしつけにうるさい海軍のサンドブラスト技師と再婚した。しかし、彼は母との仲がうまく行かなくなって、16歳の時に祖父の家に引っ越した。彼の祖父と母は15年間、滅多に話すことはなかった(今はいい関係だ)。

高校生になるまでにアリはバスケットボールのスターとしての芽が出始めていた。チームを州大会に導き、遠征チームでは後にNBA殿堂入りしたジェイソン・キッドともプレイしていた。それでも彼はそれが自分に合っていると感じたことはなく、自分の居場所を見つけられないまま思春期の大部分を悲しく孤独に感じて過ごした。

1994年、父ギルモアが長く患っていた病の末に亡くなった。息子の演技を一度も見ることはなかったが興味を持ち始めていたことは知っていた。「父は喜んでいたと思う。初めて今までにないほどに気持ちがつながったと思うよ。父はスポーツに興味を持つような人ではなかったけど父もこれなら応援してくれるはずだ」とアリは言う。

数年前、アリは倉庫を片付けている時に父が書いた古いポストカードを見つけた。それは彼の父がキャスティング事務所に配っていたもので、ジムで上半身裸でポーズを決めた写真が使われていた。「ベルベットかスエードのような生地のきれいなパンツをボタンを外した感じで履いていて、父は上を向いてるから顎の下しか見えないんだけどかっこいいんだ。裏には『やあ、母さん。まだあの主役になるためにがんばってるよ』って書いてあった」とアリは言う。

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アリはカリフォルニア州ヘイワードにあるマウント・エデン高校バスケットボール部のスタープレイヤーだった。後に遠征チームでは後にNBA殿堂入りしたジェイソン・キッドともプレイしていた。「俺はポイントガードの補欠で、彼は言うまでもなく先発選手だった」とアリは語る。Photograph courtesy of Mahersha

Translated by Takayuki Matsumoto

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