実験と暴走が生んだ怪物バンド、トレイル・オブ・デッドから振り返るUSインディー黄金期

―TODの異質な部分は、サウンド面のどのあたりに表れていると思いますか?

天井:「変」な部分が前面に出てくるのは、『Source Tags & Codes』以降だと思うんです。『Madonna』までは4人ないし5人のギターロック・バンドっていうフォーマットだったけど、そのあとメジャー(インタースコープ)に移籍して予算が増えたことで、ゲストプレイヤーを雇ってストリングスやホーン、ティンパニーと音を入れまくって、さらにMIDIやシーケンサーといった編集ソフトを駆使しながら、どんどんレイヤーを重ねてテクスチャーを固めていったという。それでプログレっぽくもなったし、既存の文脈のどこにも置きづらいバンドの特異性みたいなものが出てきたんじゃないですかね。

―天井さんによる当時のインタビューでも、回答者のコンラッド・キーリーは『Source Tags & Codes』を「さらなる実験とさらなる暴走、つまり究極に向かうためのもの」と表現していましたね。あと、メジャーレーベルを遠慮なく銀行やパトロン呼ばわりしている(笑)。

天井:そう、とにかく金を出させるっていう(笑)。特にアメリカのインディーバンドは、メジャーとの契約に関して一度懲りてるはずなんですけどね。94、95年頃のバンドはメジャーに行ったけどダメだったというパターンが多くて、業界に搾取されるイメージというか、「メジャーと契約するのも考えものだね」って雰囲気がしばらくあったんですよ。そのなかで、このバンドはあえて野心的に、というか金を引っ張り出すために乗り込んでいったという。


『Source Tags & Codes』のリードシングル「Another Morning Stoner」

―『Source Tags & Codes』で語り草になっているのが、当時のPitchforkのレビューで10点満点を獲得したことですよね。とんでもない絶賛ぶりだったわけですが、その背景というのは?

天井:やっぱり、アメリカの状況が変わったのが大きかったと思いますね。アルバムがリリースされた2002年は、ちょうどロックンロール・リバイバルが沸いていた頃で。ミニマルでシンプルなロック・サウンドが再評価されていたなか、また異質な存在感を放っていたんだと思います。オルタナ好きにとって、ドンピシャに刺さるものが出てきたと。しかもメジャーから。そういう待望論めいたものもあったのかなと。あのレビューも実際に読んでみると、かなり感情的な内容なんですよね。

―「濃密で、美しく、複雑で、心をかき乱す、爆発的で、危険な……ロック・ミュージックがそうであることを切望するすべてが詰まっている」ですからね。

天井:そうそう。じわじわ期待が膨らんで、最高潮に盛り上がったところにハマったのかなと。

―とはいえ、ストロークスとは真逆の方向を突き進んでますよね、過剰極まりなくて。

天井:流行りの路線からは完全にアウトですよ。それなのに、堂々たる王道感がある。

―作品全体としても、前作よりスケール感が増してますよね。

天井:演奏の厚みとテクスチャーの厚みがグッと増していて、金と物と時間をたっぷり費やしただけはあるなと(笑)。かといって全然冗長な感じはしないし、全体として締まっていて。今聴いてもやっぱりすごいアルバムだと思いますね。

―『Source Tags & Codes』では、どの曲が好きですか?

天井:「How Near How Far」かな。それからタイトル曲。6分もあるけど緩急のつけ方で飽きさせないし、ストリングスなんかのアレンジメントも無理なく無駄なく入っていて、プロダクションがしっかりしている。この時期のバンドのいい状態が曲に表れている気がします。



―そして、『Source Tags & Codes』はバンド最大のヒット作になったと(全米73位)。2002年はUSインディーでいうと、スプーンの人気作『Kill the Moonlight』や、ウィルコ『Yankee Hotel Foxtrot』などが出た年です。

天井:TODと同じインタースコープからは、クイーンズ・オブ・ザ・ストーンエイジ(以下QOTSA)が『Songs for the Deaf』を発表して、ようやくメジャーで結果を残した年でもありますね。

―この年のインタースコープといえば、エミネム『The Eminem Show』とt.A.T.u.ですよね。その規模のポップアイコンとTODが、なぜかレーベルメイトだったという(笑)。

天井:その2組やオーディオスレイヴ、リンプ・ビスキットがしっかり売れていたからこそ、TODみたいなマイナーバンドにもお金をかける余裕みたいなものがあったのかなと。日本の音楽シーンでも90年代の終わり頃、ボアダムズだったり渋谷系のコアなアーティストがメジャーからリリースされるみたいな流れってありましたよね。


2000年の前作『Rated R』は全米チャート圏外となったQOTSAだが、『Songs for the Deaf』では17位と一気に飛躍。その後、マタドール移籍後の2014年作『...Like Clockwork』で1位を達成した。


t.A.T.u.が2002年にインタースコープから発表した「All the Things She Said」。日本では翌年に本格上陸を果たした。

―あとは前年の2001年にシステム・オブ・ア・ダウンの『Toxicity』が大ヒットしたり、ラウド・ロックの流行も後押しになったのかもしれないですし。

天井:ラウド系で言えば、2000年前後にはアイシスやコンヴァージとかの流れも関係していたと思うんですよ。グラインドコアやポストメタルとか。サウンド的にそっち側とのリンクもあったというか、距離感は近いものがあったのかなと。


コンヴァージの2001年作『Jane Doe』収録曲「Fault and Fracture」

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