マッスル坂井が両国国技館で見せる「プロレスの向こう側」

いまでも「プロレス」がわかっていないのかもしれない

─マッスルとは何か? はもちろん、プロレスとは何か? という問いに対するひとつの答えにもなっていますね。そうしたエンターテインメントに対する追求は、マッスルを始めた当初から志向されていたのでしょうか。


最初に開催した「マッスル1」が2004年で、一区切りとなった「マッスルハウス10」が10年。自分史でいえば、20~30代にかけての時代だったこともあり、正直そこまで真剣には考えていなかったですね。

ーその後、番外編的な興行はありましたが、今回の両国国技館大会までに、マッスルとしては10年間ほどのブランクがあります。その間には新潟に戻り実家の金型工場を継いだり、覆面レスラーのスーパー・ササダンゴ・マシン(SSM)として“再デビュー”を果たしたり、さらにはSSMとして地上波やラジオ進出を果たしたりと、ご自身にも大きな変化がありました。そうした変化が、今回のマッスルにも影響を与えていると思いますか?

一度引退して新潟に戻ったことで、地方からプロレス界や東京を俯瞰できたのは大きかったかな。地方には地方の良さや楽しさがありますし、現在も新潟と東京を行き来しながらの暮らしですけど、僕みたいな人間を受け入れて一緒に面白そうなモノを作ってあげるよっていう人たちの間を漂流してるだけですから。


(C)株式会社DDTプロレスリング

─これは個人的な印象なんですが、これまでのマッスル興行には、ゼロ年代ならではの“モラトリアム”な魅力があったと思っていて。「行こうよ! プロレスの向こう側!」というキャッチコピーもそうですが、敢えて斜に構えるというか、はぐらかしながらも実は真面目にプロレスを考えていて、でもストレートには表現したくなくて…というような、もどかしさをファンと一緒に共有するような空間を感じていたんですよね。

ロストジェネレーションですからね。確かに、言われてみればモラトリアムだったのかもしれません。実は、いまだに「プロレスラー」と呼ばれることに違和感がありますし。

─それは、プロレスラーという枠に収まりたくない、というような?

というか“照れ”なんでしょうね。SSMとしてマスクをかぶることで多少は軽減されていますけど、それでもいまだにテレビや他のメディアに出るときには、レスラーらしい振る舞いができない、というかしたくない。チョップしてみせたりとか、そういうのが凄く苦手だし、基本的にはNGで許してもらっていて。どこかで、まだまだプロレスラーにはなれてないというか、そもそもプロレスというものが理解できていないと思っているんでしょうねぇ。

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