プロレス界の"カリスマ"佐々木大輔は、NYの街に消えるのか?

佐々木大輔(Photo by Takuro Ueno)

1997年の旗揚げから20年余りの間に、メジャー団体と肩を並べる存在へと成長したDDTプロレスリング。コミカルからストロングまで幅広い試合を披露する“なんでもあり”のスタイルが人気の秘訣だが、その中でも異色の存在といえるのが、人気ユニット「DAMNNATION」を率いる、現KO-D無差別級王者・佐々木大輔だ。

公称168cmと、レスラーとして決して恵まれてはいない体格ながら、ディック東郷譲りの確かな技術と自暴自棄なファイトスタイルにより、現在 “カリスマ”の異名で知られる佐々木大輔。リップサービスを含めた試合以外のパフォーマンスも、他の追随を許さぬ独自の世界を築いている。プロレスラーを目指した経緯や、現在のファイトスタイルに大きな影響を及ぼした“ある出来事”など、これまでほとんど触れられることのなかった彼のパーソナルな部分について、本誌に語ってもらった。

ルーツは80年代ハードコア。“労働”を嫌いプロレスの世界へ

─コスチュームや入場曲に、いわゆる“ロック系”のテイストを取り入れるレスラーって昔から多いんですが、佐々木選手の場合、そういう人たちとは一線を画すリアルさを感じるんですよね。たとえば主宰興行のタイトルが「不法集会(G.I.S.M.やLIP CREAMといった、当時を代表するハードコア勢が参加した80年代の伝説的イベントと同名)」だったりとか。

そうだね。あれは、いわゆるパクり。もちろんリスペクトを込めて。

─現在率いている「DAMNNATION」というユニット名も、やはりハードコア・パンクに因んだものなんですか?

80年代の九州に、GAIっていうノイズコアバンドがいて。彼らのアルバム名から、影響を受けてる。

─プロフィールを見ると、佐々木選手って33歳じゃないですか。そのあたりのバンドって、リアルタイムではないはずなんですけど、どうやって知ったんですか?

そういう音楽にたどり着いていろいろ自分で聴いて探したり、地元の先輩がバンドやってて、その人に教えてもらったのも大きい。高校生くらいのときかな。もちろん当時はネットなんてなかったら、自分でレコ屋に行って買い漁るしかないじゃない? 西新宿とか高円寺とか、毎日のように通って。まぁ、今でも買って聴くほうが多いんだけど。もちろん、最近のバンドも聴くよ。稼いだ金の大半は、レコードと酒に消えるよね。

─そんな、ゴリゴリのパンク好きだった佐々木選手が、なぜプロレスラーになろうと?

中学生くらいのときから、プロレスは好きだったわけ。実家が練馬でテレビ埼玉が映るんだけど、なぜか夕食時にWCW中継やっててさ。それ見て憧れてはいたけど、自分がレスラーになれるとは思ってなかった。高校に入ってからは、音楽のほうに夢中だったし。

─バンドをやるという選択肢は……。

それはなかったな。楽器弾けないし。で、高校出てから大工になるんですよ。親父の仕事を手伝う、みたいな感じでなんとなく。プロレスラーになろうと思ったのは、大工になったのが大きなきっかけだった。

─大工仕事を通じて、体力に自信がついたとか?

大工の仕事って朝早いでしょ。しかも、週6とかで働かなきゃいけなくて。そこに疑問を感じたわけ。なんで毎朝起きなきゃいけないんだ、と。

─あぁ、要するに“働きたくなかった”と。

仕事をすることが限界でもう辞めようって思ってた時、たまたま読んでた『週プロ』に、SUPER CREWが練習生募集してるって記事を見つけて。それで、速攻で応募しちゃった。

─WWEでも活躍したディック東郷が設立したプロレススクールですよね。

周りがほとんど自分より年上だったから、体力で負けることはなかったんだよね。それで、なんか上手くいってレスラーになれたって感じかな。

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