デンゼル・カリーが明かす、レイダー・クランからXXXテンタシオンへ連なるシーンの歩み

2019年1月に初来日公演を行ったデンゼル・カリー(Photo by Ryota Mori)

ここ数年のフロリダでは、コダック・ブラックやリル・パンプ、亡くなったXXXテンタシオンなど新世代のラッパーが次々と台頭している。そのなかで一目置かれてきたのが、1995年生まれでマイアミ出身のデンゼル・カリーだ。1月に開催された初来日公演の当日、彼にインタビューを実施。南部シーンの系譜や昨年発表の3rdアルバム『Ta13oo』のほか、アニメへの好奇心についても語ってもらった。聞き手を務めたのは、音楽ライターの渡辺志保。

ーまずは、ラップを始めたきっかけから教えて頂けますか?

ラップを始めたのは6年生のとき。もともとは詩が好きで、幼稚園の頃から詩を書いたり読んだりしていたんだ。中学生になると、周りのみんながラップをするようになって、俺の詩への興味もラップの方に移っていった。「それ、どうやってるの!?」みたいに。試しにやってみたんだけど、全然上手にできなくてさ。7年生になると少しうまくなってきて、その時、仲が良かった友達が毎日(ラップ・)バトルをやっていたから、それがいい練習になったんだよな。俺が負けると、ムキになってしつこくバトルを仕掛けたりして。俺の性格をよく知ってる友達には、「あいつはナード(オタク)だから、ラップなんて上手いわけがない」と言われてたんだ。俺の喋り方とか、喋る内容、服装……そういうので判断されていた。「あいつに期待してもしょうがなくね?」みたいな。だって、ラップは男らしくてサグいヤツがやるものだったから。

ー手応えを感じたタイミングや、ラッパーとして活動するに至った契機はどんなものでしたか?

10年生になる頃には本当に上手くなっていった。俺はアートスクールに通ってたんだけど、10年生でそれも辞めて、音楽にフォーカスしようかなと思うようになった。その頃、両親が別居したこともあって、自分の将来をもっと真剣に考えるようになったタイミングでもあったんだ。結局、俺は父親の元にいることを選んだけど、父親には「学校に通っている間は、(余計なことはせずに)家で宿題をして、静かにしてろ」と言われて。でも、その頃にはネット上でスペースゴーストパープの音楽に出会って、彼の音楽に夢中なっていった。しかも、彼が自分と同じ地元だと分かったから、オンラインでコンタクトを取って、スペースゴーストパープが率いるレイダークランのヤツらとの交流が始まったんだ。それがきっかけで、自分のミックステープもリリースした。そうしたら、すぐに自分のショウをする機会ももらえたんだ。


マイアミのレイダー・クランは、LAのオッド・フューチャーやNYのエイサップ・モブと共に、2010年代初頭を代表するヒップホップ・コレクティブ。その中心人物であるスペースゴーストパープは、2012年に1stアルバム『Mysterious Phonk: Chronicles of SpaceGhostPurrp』を4ADから発表。現在も精力的に活動している。

最初はとても小さいスタートだったけど、2011年には初めてのソロ・ミックステープを出して、2012年には、音楽活動のことをもっと真剣に考え始めた。自分もメンバーとして活動していたレイダー・クランの仕事も忙しくなってきたし、俺も精力的にいろんなヤツらと曲を作るようになったんだ。例えば、JK・ザ・リーパー、メトロ・ズー、リル・アグリー・メインとか。そして、その頃にマネージャーのマークに色々と相談に乗ってもらって、彼が俺のヴィジョンを気に入ってくれた。それが『Nostalgic 64』(2013年に発表された、デンゼル・カリーの1stアルバム)をリリースするきっかけになったんだ。マークは今もずっと俺のマネージャーをやってくれてるし、俺の初ライブの時も一緒にいた。ほら、今、君の後ろにいる男だよ。とにかく、このアルバムは俺にとってかなりデカい出来事だったんだ。

ーレイダー・クランの活躍は、当時のヒップホップ・シーンにとっても衝撃的なものだったように思います。ユニークなサウンドで、アンダーグラウンドな動きをしながらも、オンライン上を中心に無数のファンベースが出来上がっていましたよね。

うん。あの頃は、とにかく若いキッズがたくさんいた俺たちもとにかく楽しもうとしていたし、音楽に対してクレイジーなほどにのめり込んでいた。特に、(レイダー・クランの)全盛期はA$APクルーとのビーフも手伝って、話題には事欠かなかったと思う。それに、レイダー・クランたちは全ての新世代ラッパーたちに大きな影響を与えていると思うよ。

アンダーグラウンドなラッパーたちはもちろん、今、活躍しているメインストリーム系のラッパーたちにも、少なからず影響を与えている。俺たちにはそれぞれの戦略があったんだよ。地元でスタートして、確実にクルーやファンを増やしていきながら楽曲を量産するやり方とかね。レイダー・クランは2013年には解散してしまったけど、「Water World」がヒットしたクリス・トラヴィスや、ボーンズーー彼らもレイダー・クランの仲間だったけどーー、プーヤたちなんかはレイダー・クランの影響を受けながら、今のアンダーグラウンド・シーンで成功してる。そうそう、プーヤはもともとビデオグラファーでもあって、俺の最初のビデオはプーヤが撮ってくれたものなんだ。あとフェイマス・デックスも(※1)、もともとは俺のチームであるメトロ・ズーのクルーにいたルーベン・スリックがフックアップしていた。スーサイド・ボーイズ(※2)も、いつもわざわざフロリダに来てライブをやっていたんだ。

※1 シカゴ出身で1993年生まれのラッパー。リッチ・ザ・キッドのレーベルから昨年発表したアルバム『Dex Meets Dexter』の収録曲「Japan」がスマッシュヒットを記録。
※2 ニューオーリンズ出身のデュオ。ネット上で多数のリリースを重ねたのち、初のアルバム『I Want To Die In New Orleans』を昨年発表。


プーヤの2018年作『FIVE FIVE』

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