【独占取材】55歳のスラッシャー、アンスラックスのスコット・イアンがバンド史を語る

―それはすごい!

だから、この年は大きなターニングポイントだったね。のちに言う“ビッグ4”っていう大きな波に乗れたし、その波がブレイクして、突如として俺たちは世界規模でビッグなバンドになったんだよ。あの1年と『AMONG THE LIVING』というアルバムがあったからこそ、俺らはあれから31年が経った今でも音楽を作れてるんだと思う。あのアルバムはそれだけ強いインパクトを残したからね。

―当時はどういう心境でしたか? ライブハウスでしか演奏したことなかったのが、いきなりアリーナになったわけですよね。

ものすごくエキサイティングな気分だったよ(笑)。それと同時に驚いた。ちょっと混乱もしたね。だって、1981年から1987年の6年間っていうのは、今と違ってものすごく長く感じる6年だったから。3枚のアルバムをリリースして、すごくハードな活動をしてたからね……1987年の終わりに、アメリカでエクソダスとセルティック・フロストのオープニングアクトをやったんだ。ステージの脇から彼らのライブを観てたことを今でも覚えてるよ。ものすごく大きな会場に6000人から7000人ぐらいの観客がいるんだぜ? 「一体これだけの連中がどこから集まって来たんだ!?」って思ったよ。だってさ、たった6カ月前はたった600人か700人ぐらいの観客の前でしか演奏してなかったわけじゃん(笑)。それなのに、いきなり10倍にも増えた人が目の前にいるわけ! そんな短い間にどうやって俺たちのことを見つけたんだ? そりゃ俺たちも驚くさ。でも、『AMONG THE LIVING』をリリースしてたった半年で新しくスラッシュメタルを好きになった人が集まったっていうことなんだよね。

―当時、MTVやラジオでのプロモーションはしてたんですか?

いや、当時MTVに俺らは出てなかったし、ラジオで曲が流れたこともなかったよ。全部口コミの力だね。シーンにはエクソダス、メタリカ、スレイヤー、メガデスがいて、俺らもそのなかにいて、そういったバンドすべてが1983年から1986年の間に地道な活動を重ねた結果、1987年にブーンって感じで一気にメインストリームに躍り出たんだよ。特に、メタリカがアメリカでオジー(・オズボーン)のオープニングアクトを務めたおかげで、スラッシュメタルはどんどんメインストリームのオーディエンスに受け入れられようになった。みんながメタリカのアルバムを買い、スラッシュメタルに興味を持ったオーディエンスが『AMONG THE LIVING』も聴いて、「このバンドもかなりいいじゃん!」って感じでアンスラックスのファンにもなっていったわけだよ。当時はもちろんインターネットはないし、MTVもラジオもないし、全てはいいショーをやって、いいアルバムをベストなタイミングで作ったことに尽きるね。


Courtesy of DOWNLOAD JAPAN 2019

―当時、ご家族や友人の反応はどうでしたか?

成功する前から話してた夢が叶ったから、みんな大興奮してたね。1986年まで俺は実家で暮らしてたんだけど、母ちゃんは俺の夢が現実になることも、バンドがビッグになることもなかなか信じてくれなかった。だけど実際にビッグになっただろ? だから彼女はすごく喜んでたよ。彼女はいつも「いつまでもそんなところに座ってないで、早くまともな仕事に就きなさい!」って俺に叫んでたからね。俺は大学に入ったけど中退したし、バンドを一生懸命やりたかったから正社員の仕事なんてできるわけもない。俺は母ちゃんに「仕事はちゃんとしてる」って言ってたんだけど、「バンドなんかでお金が稼げるわけないじゃない!」っていつも怒られてたな。

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