Anchorsongが語る、日本人から見たロンドンの現実とグローバルな音楽観

Anchorsong

ボノボやクァンティックを輩出してきた名門レーベル、Tru Thoughtsに籍を置くロンドン在住の日本人プロデューサー、Anchorsong(アンカーソング)こと吉田雅昭が、東京・浜松・名古屋・大阪を廻るジャパンツアーを1月17日(木)からスタートさせる。最新作『コヒージョン』では、インド音楽のパーカッションとボリウッドの映画音楽に影響を受けた唯一無二のサウンドを展開。国境を越えた独自の音楽観はどのように確立されたのか。Skypeを通じて、ロンドンでの実体験を中心に話を訊いた。

―今はロンドンのどちらにお住まいなんですか?

吉田:エンジェル(イズリントン区)っていう、かなり中心に近い街ですね。キングズクロスというターミナル駅のすぐ隣で。ロンドンは中心地からゾーン1、2、3って離れていくんですけど、僕の住んでるところはゾーン1です。

―お一人で住まわれている?

吉田:いや、同居してる人が3人います。こっちはフラットシェアが主流なので、僕もこっちに来てからは誰かしらとシェアしてますね。



―吉田さんの音楽遍歴を辿ると、もともとはバンド活動をされていたんですよね?

吉田:そうですね。東京の大学に進んで、学校の友達とバンドを組んでしばらく活動していました。

―当時よく聴いていたのは?

吉田:洋楽を聴きたての頃はニルヴァーナとかスマパンみたいなオルタナ系が好きだったんですけど、そのあと自分がやってたバンドも音楽性が徐々に変わっていって、音楽の趣味も広がっていきました。DJシャドウをきっかけに、エレクトロニック系も少しずつ聴くようになったり。でも、一番大きかったのはレディオヘッドですね。『OKコンピューター』や『キッドA』が好きで、彼らがどんな音楽を聴いているのか調べるうち、オウテカとかワープのアーティストを知ったんですけど、最初はどこがいいのか全然わからなかった。でも、わからないなりにずっと掘り続けることで、そういう音楽もだんだん理解できるようになった感じですね。

―そもそもバンドマンだった吉田さんが、ひとりで音楽を作るようになった経緯が知りたいです。

吉田:バンド活動を続けるうち、メンバーが地元に帰ったり仕事が忙しくなったりして、ひとりずつ抜けていったんです。それで、最終的に僕ひとりになってしまった。自分としては音楽をやるならバンド形式にこだわりたかったし、仲間と集まって音楽を作るプロセスも楽しかったので、それが叶わなくなったことが本当にショックだったんですよ。だから、もう一度バンドをやりたい気持ちもあったけど、同じことを経験する羽目になるのではないか……という不安もあって。

―別れをまた経験するくらいなら、ひとりで孤独と向きあいながら作っていくほうがよいのではないか、と。

吉田:正直、苦渋の決断ではありましたけどね。ただ、新しくバンドを立ち上げるにしても、自分と同じモチベーションを保ってやってくれる人が見つかるかは怪しそうな気がして。僕はずっと音楽を続けていきたかったので、ひとりでやっていくのが確かな道かもしれないと考えたんです。


Anchorsongによるパフォーマンス映像

―ライブではMPCとキーボードを使ったり、とにかく生演奏にこだわられている印象です。根がバンドマンであるからこそ、生演奏によるマジックを期待している部分もあったりするんですか。

吉田:確実にそうですね、その部分は絶対に譲りたくなかった。MPCを選んだ主な理由もそれで、生演奏でエレクトロニックな音楽をやることが、Anchorsongを始めたときの根本的なコンセプトとしてありましたね。楽曲の制作にはコンピューターを使っていますけど、ライブをやるときは今でもラップトップを使わず、MPCとキーボードのみっていうスタイルを貫いています。エレクトロニック・ミュージック系のライヴだと、ラップトップを使ってシーケンスを並び替えるのが一般的な手法なんでしょうけど、僕はそれより自分の指や手を動かして音を鳴らす、その一触即発のスリルこそライブの醍醐味だと思っているので。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE