2018年、メインストリームのロックはなぜ退屈だったのか?

今年前半、筆者はNew York Times Popcast にゲストとして招かれ、トウェンティ・ワン・パイロッツやThe 1975といった、ロックとは言い難いバンドがロック系チャートを牛耳る状況について議論を交わした。その時頭に浮かんだのは、2018年におけるロックンロールとは一体何なのかという疑問だった。ギターやドラムというのも要因の一部には違いないが、もっと重要なものは別にある。ロックをロックたらしめるもの、それはアティテュードだ。N.W.Aやパブリック・エナミー、さらにはマドンナといった明らかに畑違いのアーティストたちがロックの殿堂入りを果たしていることは(ジーン・シモンズは不満の様子だが)、その最も重要な要素が世界に中指を突き立てる姿勢であることを物語っている。そう考えた場合、今日のチャートに登場しているものはロックと呼べる代物なのだろうか?

今年の年間Hot Rock Songチャートを制したのは、イマジン・ドラゴンズの「サンダー」だった。ダン・レイノルズのささくれだったヴォーカルこそ健在なものの、ギターも情熱的なコーラスもなく、フィンガースナップと打ち込みのドラムがリードする同曲からは、ロックのガッツが微塵も感じられない。

同曲の他にも、イマジン・ドラゴンズは同チャートのトップ10に3曲をランクインさせている。ギターを一切使わず、ゴスペルっぽさとナールズ・バークレーの「クレイジー」を思わせるメロディが特徴的な「ナチュラル」は、新作において実験的精神をうかがわせる唯一の曲だろう。シンセのトーンに乗せて切ない気持ちを歌ったLovelythbandの大ヒット曲「ブロークン」は、否が応にもゴティエの「サムバディ・ザット・アイ・ユースト・トゥ・ノウ ~失恋サムバディ (feat. キンブラ)」を思い出させる。他にもポルトガル・ザ・マンの昨年のヒット曲、バッド・ウルヴスによるヘヴィな割に冴えないクランベリーズの「ゾンビ」のカバー、フォスター・ザ・ピープルによるライトなR&B調トラック「シット・ネクスト・トゥー・ミー」、パニック!アット・ザ・ディスコによるオーケストラチックで洒落た「ハイ・ホープス」、そしてウィーザーによる「アフリカ」のカヴァー(一見シリアスだが、ウィアード・アルをミュージックビデオに登場させることで皮肉ぶりを強調した)などがトップ10圏内にランクインしている。よく聴いてみると、どこかで聞いたことがあるような曲ばかりだ。

何かが水増しされているように感じるのは、そういったアーティストたちがコピーバンドのコピーだからだ。1973年にアンディ・ウォーホルは毛沢東の肖像画をコピーし、そのコピーをさらにコピーするという作業を繰り返し、その過程で歪んだり引き延ばされたり傾いたりしたその写真は、最終的にほとんど原型をとどめていなかった。そのエピソードは現在のメインストリームにおけるロックの状況を思わせる。ロックというよりはポップに近いThe 1975のメンバーは全員20代だが、彼らが聴いて育ったザ・キラーズやコールドプレイはU2やR.E.M.に影響され、両バンドはストーンズやビートルズに触発され、またその両バンドはハウリン・ウルフやボブ・ディランを崇めていた。グレタ・ヴァン・フリートのようなバンドは、そういった背景を自覚した確信犯だ。彼らは確かにロックバンドらしいアティテュードを備えているが、『メインストリートのならず者』を露骨なまでに意識していたブラック・クロウズのような胡散臭さを漂わせている。「グッド・タイムズ・バッド・タイムズ」との類似性については、今更ここで指摘する必要もないだろう(ライブバンドであるという点だけは両バンドに共通している)。現代のバンドにも先駆者たちからの影響は見られるが、その繋がりは曖昧なケースが大半だ。

Translated by Masaaki Yoshida

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