宇多田ヒカルは「今」が最も輝いている 最新ツアーから音楽家としての凄みを考察

今回のライヴでは2曲を除いて、原曲が打ち込みで作った曲であっても、生演奏をベースに作った曲であっても、すべてこのバンド用の生演奏に置き換えていた。ツアー用のアレンジで、どれも原曲とは全く違う。ただ、わざわざイギリスから連れてきた敏腕たちだからと言って、バンドに何もかも委ねるわけではない。かっちりと施された編曲に沿ってバンドが演奏して、このツアー用に書き換えられた楽曲を具現化するとい言った感じで、宇多田ヒカルの頭のなかにあるイメージに沿って予めデザインされた音楽が鳴っていた。そういう意味では、実にプロデューサー/トラックメイカー的な音楽だったとも言える。

この辺りは最近のアルバムでもそうだった。例えば、ロバート・グラスパーやディアンジェロとの共演で知られるドラマーでもあるクリス・デイヴが参加した「大空で抱きしめて」「Forevermore」「あなた」の音源を聴くと、普段はかなり自由奔放で即興性が高くテクニカルなことで知られるクリス・デイヴが、一曲を通して決められたリズムパターンのループを従順に演奏している。演奏のキレや音色に若干のクリス・デイヴらしさがあるものの、彼の個性が前に出ているというよりは、宇多田が書いた楽曲を忠実に演奏しているように聴こえる。おそらく、宇多田の音楽とは、彼女のなかにあるイメージを的確に具現化することで生まれるものなのだろう。という意味では、スタジオ音源でもライヴアレンジでも、制作プロセスや美意識の面ではそんなに変わらないのかもしれない。

そういった意識は今回のライヴでもサウンドにはっきり表れていて、ドラムは打ち込みで作ったビートのパターンをトレースしたように正確にループしていたり、ドラムの手数は多めで、ベースはエレキベースとシンセベースを適時弾き分けながら、ドラムとのバランスを取り、引き算的に正しい場所に確実に音を置きつつグルーヴしていたりで、打ち込みサウンドを生バンドで表現するうえでの定石をうまく形にしていた。バンドならではの躍動感やダイナミクスを活かしてはいるが、彼女のアルバムを普段から聴きなれている人にも違和感がないビートになっていたはず。それは絶妙な落としどころだったと思う。

またドラムの音色はかなりシャープで強めで重め。例えば、『初恋』で起用されていたクリス・デイヴは、彼自身の音楽をやるときは、穴の開いたシンバルを使ったり、スネアの上に物を置いて音の伸びを消したり、音をぼかしたり、汚したりすることも多いが、宇多田ヒカルのアルバムではそういった部分は出していなかった。シルベスター・アール・ハーヴィンによるライヴでの演奏はクリス・デイヴよりもさらにはっきりしていて、セッティングの時点で全てがくっきりした音になるような機材を使っていた。これはアリーナサイズに合わせた仕様でもあるのだろうが、宇多田があくまでポップスの作家である、ということも関係しているのだろう。目の前にいるオーディエンスのを誰一人置いていかないように、はっきりと音を示すように置いていき、リズムがその音楽のガイドとなるようにすること。それはR&Bやゴスペルの要素を備えつつ、あくまでポップス枠としてのフレンドリーさを維持しているサム・スミスのバランス感とも共通している部分なのかもしれない。


Photo by Teppei Kishida

そんなリズムセクションの上に、エレピ、シンセ、ストリングスが幾重にも重ねられていたのも印象深い。というのも、アルバム『初恋』を改めて聴いてみると、ビートは際立っているが、全体的に単音よりも持続音をいくつも鳴らしたり、重ねたりする場面が多く、曲によっては、そこに自身の声を重ねたりもしていた。さらに言えば、アコースティックのピアノでさえも、フレーズだけでなく減衰しながら持続するピアノ独特の残響もマイクで拾っていて、そこにストリングスを重ね、さらに声を重ねたりしている。それは音量や音圧だけでなく、響きや密度のコントロールによる空間の中の音の飽和の度合いによって感情を表現しているようにも聴こえてくる。

そんな音源にある響きをライヴバンドで置き換える、2人の鍵盤奏者の存在も際立っていた。ヴィンセント・タウレルはピアノとローズ的なエレクトリックピアノの2台を弾き分け、ヘンリー・バウアーズ=ブロードベントは何台もマウントされたシンセサイザーから様々な音色のレイヤーを鳴らしていた。そこにベン・パーカーがギターを重ね、さらにストリングスが加わり、何重にも音が重なり絡み合い、時に不協和を生み出しながら蠢いていた。音楽が点や線の集積ではなく、立体的な膨らみにより迫ってくる感覚はエクスペリメンタルかつノイジーにも感じるもので、速度を上げずに楽曲の激しいエモーションに寄り添うための、なかなかにチャレンジングなアンサンブルだったと思う。そのバンド+ストリングスのサウンドは、アルバムで聴くことができる(スタジオで作り込んだ録音物だからこその)箱庭的な音響とはまた別の、ある種サイケデリックな空間性を生み出していたのは、このライヴならではの「体験」だった。

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