仏エレクトロシーンを牽引 エド・バンガー・レコーズの創始者が明かすレーベル誕生秘話

エド・バンガー・レコーズのアニバーサリーを祝うペドロ・ウィンター(Photo by Kevin Millet)

1990年代後半から2000年代の初めにかけてダフト・パンクがダンスフロアの世界的スターへと成長する間、ペドロ・ウィンターはマネージャーとして彼らを支えた。しかし、2003年に自身のレコード会社「エド・バンガー・レコーズ」を立ち上げると、人々はウィンターのこれまでの職歴に見向きもしなかった。「ダフト・パンクの代理で電話をかけると、どんな扉もすぐに開いた」。ウィンターは振り返りながら語った。「でも、エド・バンガー・レコーズを代表して電話したとたん、返信をくれなくなった」

時は流れ、エド・バンガー・レコーズは自らの価値を証明するにいたった。それはとりわけ、チャーリーXCXが一押しするアフィの「Pop the Glock」やカニエ・ウェストとジェイ・Zにもサンプリングされたカシアスの「I Love You So」、さらにはダンスフロアに欠かすことができないジャスティスの「D.A.N.C.E.」をはじめとするディスコ調の鮮やかなヒップホップのヒット曲によるところが大きい。レーベル創立15周年を記念して、創始者のウィンターは(意外にも)レーベルを代表する数多くの名曲をアレンジし、2018年4月に壮大なオーケストラコンサートを開催した。コンサートを収録したアルバムは、11月23日にストリーミングサービスで公開されたばかりだ。今回のインタビューでは、エド・バンガー・レコーズ創立の経緯と時代とともに増していった影響力についてウィンターがローリングストーン誌に語った。ブレイクボットやMydといった所属アーティストからのコメントを織り交ぜたインタビューの一部をお届けする。

ーなぜ自身のレーベルを立ち上げようと思ったのですか?

ペドロ・ウィンター(以下、ペドロ):俺はスケーター出身だから、先のことについて考えるのはあまり得意じゃない。たとえば、スケートボードに乗っていて、目の前に階段があるとする。そこで考えすぎると、絶対ジャンプなんてできない。時には「よし、やるぞ!」っていう覚悟も必要なんだ。わかるだろ?

ーそれでも、頭の中にはアーティスティックな理想があったと思うのですが。それとも、何かが欠けていると思ったのですか?

ペドロ:いや、アーティスティックな理想は月日を重ねるうちに、そしていろんな人々と出会うことで成長していったんだと思う。今も取り組んでいる最中さ。計画できないことを実現したり、思いがけない人と出会ったりした。ジャスティスがファレル・ウィリアムスの楽曲をプレイし、DJプレミアと一緒に仕事ができるなんて想像することさえできなかったよ。

ーレーベルを立ち上げた頃のフランスのダンスミュージックシーンについて教えてください。

ペドロ:面白い時代だった。2003年は誰もが次のダフト・パンクを探していたから。すべてはサウンドにおける「フレンチタッチ(フランス的な何か)」にかかっていた。だから自分がレーベルを立ち上げる時は、まったく違うものを提供しようと思ったんだ。Mr Flashという人物と契約を交わし、「Radar Rider」をリリースした。これは完全にインストの楽曲で、DJシャドウに強い影響を受けている。人々が想像していたような典型的なフレンチタッチというよりは、アブストラクトなヒップホップ作品だった。



ーその楽曲は、あなたが期待したような成功を収めましたか?

ペドロ:いや、成功はしなかった。だからこそ、地に足をつけていられたんだ。それは学びの行程のひとつでもある。それでも戦って、自分のスキルを人々に証明しないといけない。

ーレーベル創立前からジャスティスとは面識があったのですか?

ペドロ:2003年にレーベルを立ち上げた直後にジャスティスのふたりに会ったんだ。レーベルがリリースした2作目がジャスティスの作品だ。多くのレーベルとアーティストの出会いが偶然なのと同じように——だからこそ面白いんだけど——ジャスティスとの出会いもまったくの偶然だった。彼らのディナーに飛び入り参加したんだよ。友人が招待されていたので、ついて行ったのがきっかけ。ふたりはシャイでだったけど、ディナーの終わりに俺のところに来てくれたんだ。「君のことは知ってるよ。俺らは音楽を作ってるんだけど、よかったら聴いてもらえるかな?」って。だから「もちろん」と答えたんだ。

ふたりは「Never Be Alone」を演奏し、俺は大きな衝撃を受けた。とてもフレッシュでグルーヴィなサウンドだと思うと同時に、彼らのテクニックにも魅了されたんだ。それは完璧なサウンドだった。なぜなら、当時はミニマルテクノの全盛期だったから。エレクトロはあまり楽しくない、真剣なジャンルだった。でも、そろそろエレクトロにも楽しさを復活させないと、と思っていた。たとえば、それもすごく控えめにたとえるなら、ビースティ・ボーイズが当時ヒップホップシーンにもたらしたようなことだね。ただ楽しくてクレイジーな音楽をフリースタイルで楽しみたいキッズが集まるような感覚。それが重要だった。

そして、その翌年の2004年だったかな、セバスチャンも加わったんだ。完璧な組み合わせだった。彼はオフィスに来て、たくさんのヒップホップサウンドを聴かせてくれた。当時はそこまで興味を持っていなかったけど、今ではヒップホップは大好きだよ。ミーティングの終わりにセバスチャンは「エレクトロ音楽も作ってるんだ」と言って演奏してくれたんだけど、俺は「すごい!」と言ってすぐに契約を結んだ。

Translated by Shoko Natori

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