ガンズ・アンド・ローゼズ『チャイニーズ・デモクラシー』知られざる10の真実

2008年に怪作『チャイニーズ・デモクラシー』を作り上げたアクセル・ローズ(Photo by Martin Philbey/Redferns)

長い沈黙の末、膨大な予算を投じてアクセル・ローズが作り上げた怪作『チャイニーズ・デモクラシー』 知られざる10の真実とは?アクセルのサイキック・アドバイザー、クイーンのブライアン・メイの参加、バケットヘッドのレコーディング用鶏カゴ等、幾度となく発売が延期された2008年作にまつわる10のトリビアを紹介する。

「俺たちはガンズ・アンド・ローゼズを、価値あるものとして復活させようとしているんだ」アクセル・ローズは2000年1月に本誌にそう語っている。「古くからのファンを、少しずつ21世紀に導こうとしてるんだよ」

1991年作『ユーズ・ユア・イリュージョン』以来となる『チャイニーズ・デモクラシー』の完成が目前とされていた当時、ガンズのファンとゲフィン・レコーズは期待に胸を躍らせていた。バンドの当時のマネージャー、ダグ・ゴールドスタインは本誌に「バックトラックは99パーセント、ヴォーカルは8割録り終えている」と語っており、同作は2000年の夏に発売を予定していた。

しかしガンズ・アンド・ローゼズの新作が届けられたのは、それから実に8年後のことだった。2006年1月の本誌インタビューでは、アクセルは「今年中にはアルバムが出る」と語っており、その10ヶ月後にはバンドの当時のマネージャー、Merck Mercuriadisがその年の年末にアルバムが発売になると語ったが、その約束が守られることはなかった。そして2008年11月、『チャイニーズ・デモクラシー』はBest Buy限定発売という形で届けられた。無数の憶測と噂が飛び交い、度重なる遅延の末に発表された超話題作が大型販売店で平積みされている光景は、もはや非現実的ですらあった。

『チャイニーズ・デモクラシー』は、音楽性の面でも議論を呼んだ。「初代ブッシュ政権の発足以降初めて届けられたガンズ・アンド・ローゼズの新作は、大胆で恐れを知らない、正真正銘のハードロック・レコードだ」デヴィッド・フリッケは本誌レビューで同作をそう評価した上で、「言い換えれば、ここにはファンが待ち望んだガンズのサウンドがあるということだ」と述べている。しかし『ユーズ・ユア・イリュージョン」以降の度重なる脱退劇を経て、唯一のオリジナルメンバーとなったアクセル・ローズが中心となり完成させた同作は、パトカーのサイレンを思わせるシャウトをはじめとする唯一無二のヴォーカルこそ健在なものの、1987年作『アペタイト・フォー・デストラクション』で確立してみせた、ならず者たちの荒ぶるロックンロールサウンドはすっかり影を潜めていた。

レコーディングに15以上のスタジオを使用し、複数のプロデューサー(ユース、ショーン・ビーヴァン、 ロイ・トーマス・ベイカー等)を迎えて完成させた同作には、無数の音が折り重なるゴージャスなアレンジが光る「ストリート・オブ・ドリームス」「マダガスカル」「ゼア・ワズ・ア・タイム」「リヤド・アンド・ザ・ベドウィンズ」「プロスティテュート」等、アクセルの壮大なヴィジョンがはっきりと現れている。よりストレートな「ベター」や表題曲では、21世紀ならではのエレクトロニックなアンサンブルとプロダクションを聴くことができる。『チャイニーズ・デモクラシー』は傑作か、それとも巨額の制作費によって具現化したアクセルのエゴに過ぎないのか?そもそも、このアルバムはガンズ・アンド・ローゼズのアルバムと呼べるのか?発売から10年以上が経った現在でも、その議論が尽きることはない。

『チャイニーズ・デモクラシー』の発売10周年を記念し、同作にまつわる10の知られざる事実を紹介する。

1. バンドがアルバムを1999年3月までに完成させた場合、アクセルはレーベルから100万ドルのボーナスを受け取ることになっていた。

1998年9月、本誌はガンズ・アンド・ローゼズがショーン・ビーヴァン(マリリン・マンソン、ナイン・インチ・ネイルズ等)をプロデューサーに迎え、タイトル未定のニューアルバムの制作に着手したと報じた。バンドは1997年にレコーディングを開始していたが、度重なるメンバーチェンジによって中断を余儀なくされていた(1998年後半の時点でのラインナップはアクセル、元NINのギタリストであるロビン・フィンク、過去にリプレイスメンツでベースを弾いていたトミー・スティンソン、ヴァンダルズでドラマーを務めるジョシュ・フリース、そしてGNRで長年キーボードを担当するディジー・リードの5人だった)。マイク・クリンク、モービー、ユース等、プロデューサーを迎えては解雇するという不毛なプロセスを繰り返していたアクセルに、レーベルのゲフィン・レコーズは業を煮やしつつあった。

それから約7年後に公開されたニューヨーク・タイムズ紙の記事によると、ヒット作の枯渇に苦しんでいたゲフィンの首脳陣は(業界の内情に詳しいある人物は「GNRの新作はレーベルにとっての聖母マリアとなるはずだった」と語ったという)、バンドが1999年3月までにアルバムを完成させた場合、アクセルがボーナスとして100万ドルを受け取るという条件を提示していたという。しかし、実際にレーベルがその小切手を用意することはなかった。結果的にビーヴァンは『チャイニーズ・デモクラシー』において決定的な役割を果たすことになったが、彼をプロデューサーに迎えたことで制作のペースが向上したわけではなかった。アルバムの制作に既に1300万ドルを投入していたゲフィンは、2004年2月に『チャイニーズ・デモクラシー』への追加投資をしないことを決定した。その理由について、レーベルはバンドのマネージメントに「既に予算を何百万ドルも超過している」と説明している。「アルバムの完成に必要な追加費用の負担は、レーベルではなくローズ氏の義務である」

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