スティーヴィー・ワンダーの名曲を彩った巨大シンセサイザーの物語

ワンダーの「迷信」はエレクトリック・レディで生まれた。この曲はもともとニューヨークに遊びに来ていたセシルの友人ジェフ・ベックのために書かれたものだったが、最終的にワンダーが約束を反故にしたのだった。「迷信」で使われている核となるキーボード・サウンドは、ワンダーのエレクトリック・キーボードをTONTOに通して出している。有名なベースラインはすべてTONTOのサウンドだ。

「迷信」はメインストリームでのシンセサイザーの可能性を示した最初の楽曲で、キーボードでコントロールする楽器がポピュラー・ミュージックにもたらす新たな音色の可能性を示唆したのだ。ワンダーはスタジオでほとんどの(ときには全ての)楽器を演奏するミュージシャンであり、TONTOの登場によって楽曲の最終的なアレンジも可能になった。キーボードを演奏するワンダーの背後でセシルとマーゴーレフが電話交換手のようにプラグを入れ替えながら、リアルタイムでサウンドをつなぎ合わせていた。

しかし、巨大なTONTOを設置する場所を見つけることが問題となった。エレクトリック・レディを使う人がどんどん増えて、スタジオスペースが必要になってきたのである。結局、スティーヴィー、ボブ、マルコムの3人は最終的に荷物をまとめてエレクトリック・レディを出る決断をし、ロサンゼルスへ移動した。そこでその後3年間住むことになる居場所を見つける。レコード・プラント・スタジオBがそれだ。

ロサンゼルスのレコード・プラントはクリス・ストーンとゲイリー・ケルグレンが建てた。彼らはニューヨークにある最初のレコード・プラントの創業者で、このスタジオは1968年にジミ・ヘンドリクス専用として作られたスタジオだった。1年間の通年予約の見返りとして、スタジオのオーナーたちはスティーヴィーの要求通りの新たなルームを建てることに合意し、このルームのデザインを依頼するためにニューヨークからジョン・ストリクを呼び寄せた。

このルームに設置されたものは、史上初の4チャンネル・ステレオ・サウンドのモニタリングシステム、初期の24トラックのテープマシン、そしてTONTOを設置するための独立したブースを設えた。ここには大量の楽器が置かれたのだが、驚くことにスタジオ・オーナーたちは、スティーヴィーの貴重なマスターテープを保管できる特設テープライブラリーまで建てたのである。

「あのルームが僕たちの人生を一変させた。あのスタジオでは間違いというのが一切なかった。つまり、あそこで作ったものは全てナンバー1ヒット曲として駆け上がったんだよ」と、マーゴーレフが当時を思い出す。「アルバムを作るという意識でスタジオに入ったことは一度もなかったね。とにかく音楽を作るぞ、楽曲のライブラリーを作るぞ、それだけだった」

Translated by Miki Nakayama

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE