1976年12月1日、クイーンはニュー・アルバム『華麗なるレース』の告知を兼ねて、夕方のトークショー『Today with Bill Grundy』への出演が決まっていた。ところがマーキュリーが15年ぶりに歯医者へ行かねばならなくなったため、バンドのレーベルだったEMIは、当時新たに契約したセックス・ピストルズを代役に立てた。番組側が楽屋に用意した飲み放題のアルコールが、ただでさえ手に負えないパンク・ロッカーたちを、さらにやんちゃにした。ピストルズのメンバーに劣らず酔っていたとされる挑戦的なビル・グランディに乗せられたスティーヴ・ジョーンズとジョン・ライドン(別名ジョニー・ロットン)は、Fワードを含む放送禁止用語を連発した。
大ロンドン地域のみの放送だったにもかかわらず、メディアからの即座の反発により、セックス・ピストルズは全国的な注目の的となった。デイリー・ミラー紙の1面には“卑猥と憤激!(The Filth and the Fury)”の文字が踊り、その他多くのタブロイド紙も一斉に取り上げた。怒り狂ったあるトラック運転手が、テレビを破壊したという伝説もある。ロンドン市議会の保守系議員たちは、セックス・ピストルズを“吐き気を催す”ような“人類のアンチテーゼ”と表現した。直後に予定されていた英国内でのアナーキー・ツアーの多くはキャンセルされたり反対運動が起きたが、メディアが根掘り葉掘り取り上げたため、かえって彼らの人気は高まった。
しかしロジャー・テイラーは、ピストルズのベーシストに対してどうしても敬意を払えないようだった。「シド(ヴィシャス)は馬鹿だ。彼は間抜けだ」とロジャーは、ドキュメンタリー『輝ける日々(Queen: Days of Our Lives)』の中で振り返っている。ある時ヴィシャスが酔っ払ってクイーンのスタジオにフラフラとやってきて、「まだバレエを普及できてないのか?」とマーキュリーに絡んだ。シドは、その直前にマーキュリーがNMEのインタヴューで豪語していた話を持ち出したのだ。