クイーン、フレディ・マーキュリーの知られざる10の真実

1985年7月13日、イギリス・ロンドンで行われたライヴ・エイドに出演したフレディ・マーキュリー(Photo by Peter Still/Redferns)


4. 図らずもセックス・ピストルズの大ブレイクのきっかけを作ったマーキュリーだが、恐らくは後悔していた

1976年12月1日、クイーンはニュー・アルバム『華麗なるレース』の告知を兼ねて、夕方のトークショー『Today with Bill Grundy』への出演が決まっていた。ところがマーキュリーが15年ぶりに歯医者へ行かねばならなくなったため、バンドのレーベルだったEMIは、当時新たに契約したセックス・ピストルズを代役に立てた。番組側が楽屋に用意した飲み放題のアルコールが、ただでさえ手に負えないパンク・ロッカーたちを、さらにやんちゃにした。ピストルズのメンバーに劣らず酔っていたとされる挑戦的なビル・グランディに乗せられたスティーヴ・ジョーンズとジョン・ライドン(別名ジョニー・ロットン)は、Fワードを含む放送禁止用語を連発した。

大ロンドン地域のみの放送だったにもかかわらず、メディアからの即座の反発により、セックス・ピストルズは全国的な注目の的となった。デイリー・ミラー紙の1面には“卑猥と憤激!(The Filth and the Fury)”の文字が踊り、その他多くのタブロイド紙も一斉に取り上げた。怒り狂ったあるトラック運転手が、テレビを破壊したという伝説もある。ロンドン市議会の保守系議員たちは、セックス・ピストルズを“吐き気を催す”ような“人類のアンチテーゼ”と表現した。直後に予定されていた英国内でのアナーキー・ツアーの多くはキャンセルされたり反対運動が起きたが、メディアが根掘り葉掘り取り上げたため、かえって彼らの人気は高まった。

スーパースターバンドを常に馬鹿にしてきたセックス・ピストルズは、特に華麗で壮観かつ演奏技術の高いクイーンを軽蔑した。そういった感情はお互いのバンドが持っていたようだ。マーキュリーは、ピストルズのラフなロックを決して気に入ることはなかった。「マーキュリーは、“パンクに関して全く理解できない”と言っていた」と、あるEMI幹部は伝記作家のブレイクに証言している。「彼にとってパンクは音楽ではなかった」

1977年、ロンドンのウェセックス・スタジオでクイーンは、デビュー・アルバムをレコーディング中のセックス・ピストルズと鉢合わせした。「廊下で偶然彼らに出くわしたんだ」とメイは、ブレイクに語った。「僕はジョン・ライドンといくつか言葉を交わしたが、彼はとても礼儀正しい人間だった。僕らは音楽について話をした」。

しかしロジャー・テイラーは、ピストルズのベーシストに対してどうしても敬意を払えないようだった。「シド(ヴィシャス)は馬鹿だ。彼は間抜けだ」とロジャーは、ドキュメンタリー『輝ける日々(Queen: Days of Our Lives)』の中で振り返っている。ある時ヴィシャスが酔っ払ってクイーンのスタジオにフラフラとやってきて、「まだバレエを普及できてないのか?」とマーキュリーに絡んだ。シドは、その直前にマーキュリーがNMEのインタヴューで豪語していた話を持ち出したのだ。

マーキュリーはそう簡単にシドの挑発に乗らなかった。「彼のことを“サイモン・フェロシアス”とか何とか呼んだら、それを彼は気に入らなかったようだ」とマーキュリーは後にテレビ番組のインタヴューで語っている。「僕が“だから何が言いたいんだ?”と言うと、彼は怒り狂った。さらに“今日、鏡をちゃんと見ながら自分に(カミソリで)文字を刻まないと、明日、違うもの(something else)が刻まれていることに気づくぞ”と言うと、彼は僕のそんな言い回しも気に食わなかったようだ。僕らは試練を乗り越えたようだ」。



Translated by Smokva Tokyo

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