パール・ジャム『Vs.』 あなたが知らない10の事実

パール・ジャム:1992年撮影(Photo by Paul Bergen/Redferns)

パール・ジャムの1993年作『Vs.』にまつわる、知られざる10の事実。

パール・ジャムのセカンド・アルバムに対する期待の大きさを表現する上で、「待望の」という言葉はまるで不十分だった。「アライヴ」「ジェレミー」「イーヴン・フロウ」等の大ヒットシングルを収録したデビューアルバム『テン』の発表から2年、パール・ジャムは世界で最も注目を集めるバンドの一つとなっていた。フロントマンのエディ・ヴェダーがステージ上で見せる命がけのパフォーマンスは、信者と呼ぶべき熱狂的ファンを無数に生み出した。

1993年10月19日に満を持してリリースされた『Vs.』は、発売後5日間で95万枚以上を売り上げ、同週のビルボードTop10におけるその他全作品の総売り上げを上回るという、まさに前代未聞の記録を樹立した。しかしパール・ジャムの快進撃を目の当たりにしてきた人々は、その事実に特に驚きはしなかった。今になって思えば、尋常ではないプレッシャーを感じていたはずのバンドが作品を世に送り出したという事実こそが、何よりも評価に値することだった。

オルタナ界(特に地元シアトルのシーン)のミュージシャンやファン、そして批評家たちからはセルアウトしたと揶揄され、スターダムに居心地の悪さを覚えていたパール・ジャムは、発表前から作品が批判されることが確実になっているという、不可解だが典型的なパターンに陥っていた。また『テン』の発表直前に脱退したドラマーのデイヴ・クルーセンに代わって加入したデイヴ・アブラジーズ、そしてプロデューサーのブレンダン・オブライエンを迎えての初のレコーディングであったことも、『Vs.』の制作における不安要素の一つとなっていた。

「もう一度デビューアルバムを作ろうとするような感覚だった」。ベーシストのジェフ・アメンは、2017年に本誌にそう語っている。「ドラマーとプロデューサーが変わるっていうのは、それぐらい大きなことなんだよ。デイヴ・アブラジーズは、デイヴ・クルーセンとは全く異なるタイプのドラマーだったしね。2作目でグルーヴに大きな変化が現れたのは、そういう理由からだったんだ」。

レコーディングは様々な困難に直面したものの(メンバー同士の対立のほか、ヴェダーはセッションに使われたスタジオに強い不満を抱いていた)、バンドは長く波乱万丈なキャリアの中でも屈指の名作『Vs.』を生み出してみせた。アコースティックな新境地を示した「ドーター」や「エルダリー・ウーマン・ビハインド・ザ・カウンター・イン・ア・スモール・タウン」、ファンクに寄った「ラッツ」や「アニマル」など、前作よりもルーズでありながら、よりヘヴィで怒りに満ちた『Vs.』で、パール・ジャムは新たなサウンドとダイナミクスを確立してみせた。「ロック史上屈指のバンドが生んだ正真正銘のマスターピース、それが『テン』だった」ポール・エヴァンスは本誌にそう寄稿している。「そして彼らは『Vs.』で、自らが定めたハードルを越えてみせた」。

『Vs.』の発売25周年を記念し、同作にまつわる10の知られざる事実を紹介する。

Translated by Masaaki Yoshida

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