ジミヘン『エレクトリック・レディランド』あなたが知らない10のこと

ジミ・ヘンドリックスの『エレクトリック・レディランド』が50周年を迎える (Photo by Bob Baker/Redferns)


5.  オールスタージャム「ヴードゥー・チャイル」はお気に入りのニューヨークシティのナイトクラブの空気を音源で再現したいというヘンドリックスの試みだった



「ナイトクラブのような小さな場所で閉店後にやるジャムセッションが好きなんだ。違った感覚が生まれる。そこにいるみんなとまた違った形で楽しむんだ。違った感覚が生まれ、そしてそれをまたさらに違う感覚と混ぜ合わる。重要なのはスポットライトがあたるようなことではなく“人”なんだ。」と1970年2月、ヘンドリックスはジャーナリストのジョン・バークスに語った。

『エレクトリック・レディランド』の制作当時ニューヨークシティのヘンドリックスのお気に入りの場所、閉店後にセッションができるザ・シーンというナイトクラブがあった。西46番通り沿いの地下にあって、ゲイリー・ケルグレンがヘンドリックスを念頭において建てた新しいレコーディングスタジオのレコード・プラント・スタジオから目と鼻の先であった。ザ・シーンはツアー中のミュージシャンたちが集まってくる場所で、ヘンドリックスがそこにいたミュージシャンたちと数時間ジャムセッションし、その後深夜のレコーディングのためにレコード・プラント・スタジオに戻ることも珍しいことではなかった。1968年5月2日の夜、彼はそれぞれのバンドがフィルモア・イーストでのライブのために来ていたスティーヴ・ウィンウッドとジャック・キャサディと出会い、そのまま2人をスタジオに連れて戻り、エディ・クレイマーにザ・シーンのジャムセッションのようにマイクをセットするように指示した。ドラムはミッチ・ミッチェルであった。

「俺たちはもうザ・シーンにいたがジミが『スタジオに戻ってこれをやってみよう』って言いだしたんだ。」とクレイマーは『At Last … the Beginning: The Making of Electric Ladyland』の中で思い起こしている。「ライブのようなサウンドで録るという狙いだった。」3テイクでこのスローブルース「ヴードゥー・チャイル」は後世に残るべくテープに刻まれ、“クラブ感”を出すためにオーディエンスの声が後からオーバーダブで加えられた。

6.  「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」はテレビドキュメンタリーの撮影中に即興的にレコーディングされた


「ヴードゥー・チャイル」がレコーディングされた翌日、ABCテレビのドキュメンタリー番組になる可能性がある撮影のためヘンドリックスはノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルと共にスタジオに戻った。レコーディングしているふりするだけのはずだったがヘンドリックスはメンバーに新しい曲を教えるのにちょうどいいと思った。そしてテープを回して3テイク後、「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」が生まれた。

「俺たちはスタジオで曲を覚え、その曲を演奏している間カメラが回されていたんだ。」とレディングは著者のジョン・マクダーモットに語った。「それを3回ほどやった。彼らはスタジオにいる俺たちを撮りたがったからね。(横柄な声色で)『スタジオミュージシャンぽく見えるようにやってくれ』って指示しながら。あるシーンでは『OK、Eのキーでやってみよう。はいワン、ツー、スリー』で、俺たちが「ヴードゥー・チャイルド」に入る、みたいな」とヘンドリックスはジョン・バークスに語った。結局そのスタジオの映像はABCに使われることもないまま行方が分からなくなってしまったが「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」はヘンドリックスの曲の中で最もヘヴィで最も力強い曲の1つとして残っている。
7.    ヘンドリックスのスタジオでの完璧主義が原因で彼のマネージャー兼プロデューサーがアルバムの制作中にやめてしまった
「ヴードゥー・チャイル」と「ヴードゥー・チャイルド(スライト・リターン)」はどちらも3テイクずつで完成したがそんなふうに自然と出来上がるような感じは『エレクトリック・レディランド』の制作においては珍しいことであり、ヘンドリックスのマネージャー兼プロデューサーのチャズ・チャンドラーにとってそれは非常に残念なことであった。“パッと録ってパッと終わる”レコーディングスタイルを好むチャンドラーは、ファンキーなフィールドホラー曲「ジプシー・アイズ」で50近いテイクがかかったことを始めとするヘンドリックスの完璧主義的傾向、そしてレコード・プラント・スタジオ内を多くの曲のレコーディング中に占めていたパーティ的空気に次第にフラストレーションを溜めていったのである。

「私がそこ(レコード・プラント・スタジオ)に先に入りジミを待つことがよくあった。そしたら彼は8、9人の腰巾着と一緒に現れる。そしてようやくレコーディングを始める気になったと思ったらレコーディングに集中せずゲストたちを喜ばせるためにプレイする…。何度も何度もやり直して『今の良かった。良いのが録れたぞ。』と私がトークバックマイクで言っても彼は『ダメだ、ダメだ』と言い、また何度も何度も録り直す。ついに私はあきらめてその場を去ったんだ。」とチャンドラーはジョン・マクダーモットに話した。

エクスペリエンスのベーシスト、ノエル・レディングも同じくレコーディングの環境に取り巻いていたお祭り騒ぎの空気、そしてヘンドリックスが頭の中で聞こえているものを完璧に再現することを追求するあまりアルバム中の多くの曲のベースを彼自身がプレイし、レディングがやることがほとんどなくなってしまっていたことに対して非常に不満を感じていた。「俺はそれをジミにぶちまけ、彼が周りに作っている環境に対して俺がどう思っていたのかを伝えたんだ。スタジオには大量の人がいて動くことさえままならなかった。あれはレコーディングではなくパーティだった。彼は『まあ、落ち着けよ。』と言うだけだった。俺は何か月も落ち着いていた。だから俺はもう彼に二度と合わないことになろうが気にせずこの場から離れることを選んだんだ」とレディングは自身の自伝『アー・ユー・エクスペリエンスト?』に綴っている。結局レディングはレコーディングに戻ったが(アルバムに収録するほどヘンドリックスが気に入っていたという「リトル・ミス・ストレンジ」ではリードヴォーカルまで担っている。)チャンドラーは永遠に戻ることはなかった。

Translated by Takayuki Matsumoto

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