ヨ・ラ・テンゴの運命を変えたターニングポイント「パンクロックは誰にでもできるものではなかった」

ヨ・ラ・テンゴのアイラ・カプラン、10月10日の渋谷TSUTAYA O-EAST公演より。(Photo by Kazumichi Kokei)



ー僕はヨ・ラ・テンゴの曲の中に時折、現れる古いR&Bの要素が大好きです。新作に収録された「Forever」のザ・フラミンゴズ風のコーラスにも驚喜しました。


アイラ:あれも僕たちが、ただふざけて遊んでいるだけなんだ。今回のアルバムを作っているという実感を持つずっと前から、僕たちはこのアルバムを作っていた。当初は練習スペースで、ただふざけて遊んでいるだけだったんだ。でも、ある時、「もしかしたら、他の人にもこのサウンドを聴かせた方がいいのかもしれない」と思った。(コーラスの)「シュワップ、シュワップ」もそのいい例だ。アルバムの曲は全て、ある時点では12分くらいの尺があった。それらは単なるムードであり、曲と言えるものでは全くなかった。「Forever」の時もムードから始まっていたんだけど、おそらくアップライトベースの音はすでにあったと思う。そこで、ヴォーカルを加えてみようか、ということになったわけ。もし上手くいかなかくても、消せばいいだけのことだから(笑)。

ーこの曲を本田ゆかと一緒に演奏している動画をネットで見ました。

アイラ:あれはアルバムリリースのタイミングで、NYのラフ・トレードでやったんだ。とても忙しい時期だったから、レコード店のインストアライブのために、あの曲のアコースティック・アレンジを練習している余裕はなかった。そこでどうしようか考えて、ボーカルを録音する前のトラックは全て揃っていたから、それをゆかに送り、「君の好きなようにアレンジして」と伝えたのさ。それに合わせて僕たちが歌うから、と。またやりたいと思うけど、あのライブは一度限りの企画だった。



ー本田ゆかは彼女がチボ・マットとして活動を始める前からの古い友人で、僕に音楽制作をリスタートするきっかけを与えてくれたのが、実は彼女なんです。僕は23歳でジャーナリストとして活動するようになってから、楽器を演奏するのをやめてしまいました。10年以上、楽器に触らなかったのが、ある時、彼女の家でサンプラーを知って、36歳くらいから再び音楽制作を始めました。信じられないことに、25年経った今では自分のスタジオを持っている。

アイラ:なるほど。

ーあなたもミュージシャンとして活動を始める以前に、ジャーナリストの仕事をしていましたよね。僕のようなターニングポイントはありましたか?

アイラ:いくつかあったね。最大のターニングポイントはもちろん、ジョージアと出会ったこと。彼女はその頃からドラムを叩いていたけど、もともとミュージシャンになりたかったのかどうかもわからない。パンクロック期のインタビューを読むと、「パンクロックからは、誰でも音楽ができるということを学んだ」といったことがよく書いてある。でも、僕はパンクロックが大好きだけど、自分にはできないということを学んだし、誰にだってできるものではないと思った。僕はシャイだったし、引っ込み思案すぎたんだ。だから、ジョージアと一緒に演奏を始めた頃はカバーばかりやっていたよ。バンドを結成したとかそんなのでは全くなかったけど、とにかく楽しかった。

それで僕は当時、New York Rockerという雑誌に記事を書いていたんだけど、その雑誌がdB’sを呼んでパーティーを開いたんだ。ジーン・ホルダーやdB’sとの関係性についてはさっきも話したけど、彼らもカバーをたくさんやるバンドだった。それで、dB’sのメンバー、ピーター・ホルサップルが僕とジョージアをそのパーティーに招待してくれて、しかも一緒に演奏することになってね。僕たちはびっくりしたし、心臓がバクバク鳴っていたよ(笑)。でも、その夜は衝撃的だった。あれは確かにターニングポイントだったな。あの感覚をまた得たくなったし、活動を続けなければいけないと思ったから。

Yo La Tengo
ジョージア・ハブレイ(左)とジェームズ・マクニュー(Photo by Kazumichi Kokei)

ー僕が音楽をやめた理由の一つがパンクロックでした。僕もパンクやニューウェーブのシーンが大好きですが、その頃の自分はもう年を取り過ぎていると感じてしまったのです。どうやって自分がそういう音楽を演奏していいのかわからなかった。60年代や70年代の音楽を聴いて育ってきたわけですから。


アイラ:僕にもわからなかったよ。それに、今でも最小限のギターテクニックしか知らない。エリック・クラプトンの音楽をどれだけ聴いたって、彼みたいにギターを弾けるようにはならなかった(笑)。ちなみに、僕がここで言うパンクロックというのは、ラモーンズなどに限定されるものではない。もちろんラモーンズは大好きだけど、ザ・レインコーツがそうだったように、音楽の教育を受けていなくても、クリエイティブな発想さえあればパンクバンドの一員になることができた。それも自分にはできないと思ったんだけどね。とにかく、パンクロックはそういう幅広い定義で使ったつもりだよ。

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