ポール・マッカートニーがオースティン・シティ・リミッツに出演:熱狂の一夜を振り返る

2018年10月5日、テキサス州オースティンのジルカー・パークで行われたオースティン・シティ・リミッツに出演したポール・マッカートニー(Photo by Debby Wong / Shutterstock.com)

10月5日、ジルカー・パークで幕を開けたオースティン・シティ・リミッツの初日。ヘッドライナーをつとめたポール・マッカートニーのステージは、彼の中でもひときわエネルギッシュな、伝説的ライブとなった。

うだるような暑さにもかかわらず、疲れを知らないロック・レジェンドは、ギターを手放すことなく、ステージを離れることもなかった。見た目にもわかるほど汗が噴き出していたにも関わらず、彼が唯一休息を取ったのは「アイヴ・ガッタ・フィーリング」を始める前、ジャケットを脱いで袖をまくった時だけ。マッカートニーのコンサートにはお決まりの仲間意識は、このフェスティバルにもぴったりはまっていた。6万人の観客が芝生の会場に群がり、星空の下「ヘイ・ジュード」を熱唱。この曲は、こうして大観衆で歌うべき1曲だ。そのことを誰よりも実感しているのは、50年前にこの曲を書いた本人だろう(「まるで、全世界が歌っているみたいだ」と、73回目の「ナナナ・ナー」の途中で、ポールも思わず叫んだ)。中間選挙を前に、テキサス州代表の下院議員ベト・オロークに沸く人々も、ビートルズに熱狂した2018年10月のテキサス。これほどの大群衆に囲まれて、ポールの不屈の精神に触発されるというのはなんとも感慨深いものがあった。それでは、コンサートの模様をお届けしよう。

この夜もっとも感動的だった場面は、今週上旬に亡くなったビートルズのエンジニア、ジェフ・エメリックに対するマッカートニーの追悼スピーチだ。「この世を去った僕たちの英雄の1人にこの曲を捧げたいと思います」とマッカートニー。「僕らのエンジアで、僕の大切な仲間、ジェフ・エメリック。神のご加護がありますように」 そして『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』からの1曲、「ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト」を演奏した。まさに完璧な選曲。ビートルズの奇妙奇天烈なアイデアのために、エメリックとプロデューサーのジョージ・マーティンが編み出したスタジオワークの魔法を駆使してできた曲なのだから。レコーディングのさなか、ジョンは2人に対し、リスナーに「床の上のおがくずの匂いが伝わるような」カーニバルの雰囲気を出してほしいと要求したのは有名な話だ。



マッカートニーはここ最近、ライブ演奏で目まぐるしい忙しさだ。ほんの数週間前にはニューヨークのグランド・セントラル・ステーションを大いに沸かせ、現在はカナダをツアー中(「ミッシェル」で会場は大盛況だとか)。ジルカー・パークでは、およそ3時間にわたって演奏した。あまりの暑さに、つい芝生に座って一息つこうと思うたび、ステージ上の76歳が会場にいる誰よりも精力的なことにはっとさせられる。ステージはいつもの通り、ビートルズの盛り上げ曲「ハード・デイズ・ナイト」と、ウィングスの隠れた名曲「ハイ・ハイ・ハイ」のワン・ツーパンチでスタートした。「太陽の降り注ぐ中、ハイになろうぜ」というフレーズが、この場にぴったりマッチする。観客の中には、まさにこの日の午後、歌詞通りの計画を実行したと思しき人々の姿が見受けられた。

この日もっとも陶酔感に浸らせてくれたのは、ビートルズ時代の名曲「夢の人」。もちろん、「フロム・ミー・トゥ・ユー」「ヘルター・スケルター」「アイヴ・ガット・ア・フィーリング」も、ウィングス時代の「レット・ミー・ロール・イット」といったロックンロールも引けを取らない。この日ポールは、アルバムチャート1位を獲得した新作『エジプトステーション』から、「カム・オン・トゥ・ミー」と「ファー・ユー」の2曲を披露した。もっとも、会場の観客は「コンフィダンテ」や「ドミノズ」といった、もっと個性的な曲を期待していたようだった。彼は、来月リリースが予定されているチャートイン間違いなし、何時間分もの未発表音源やデモ音源を収めたホワイト・アルバムのボックスセットについては触れなかった。代わりに、今日では少々鼻につくホワイト・アルバムの1曲目「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」を演奏した。



会場は、賑やかなファンの存在でさらに盛り上がりをみせた。オースティン・シティ・リミッツには、年代も文化的背景も異なるさまざまな観客が集まっており、なかには『エド・サリバン・ショウ』のころからポールに黄色い声援を送ってきたような、なかなか粋な大人たちの姿も見受けられた。ピアノに座ったポールが「恋することのもどかしさ」を歌うと、私の後ろにいたご婦人が叫んだ。「リンダァァァ! 朝5時からこの曲をずっと待ってたのよ!」 「恋することのもどかしさ」のビデオには、リンダが撮影したポールの写真が登場する。1970年のアルバムジャケットと同じポーズをとるポールは、ヒッピー・パパよろしく髭を生やし、レザージャケット姿で赤ん坊を抱いていた。のちにポールは「あの時抱っこしてた赤ちゃん? あの子も今じゃ4児の母親だよ」と教えてくれた。

もうひとつ、この日のハイライトとなったのはアコースティック・ギターを手にしたポールが1人ステージで「ブラックバード」を歌った時だ。ビートルズの名曲に、6万人の観客がカンペなしで一斉に歌い出す。やがて演奏は、彼が全身全霊でジョン・レノンに捧げた挽歌「ヒア・トゥデイ」へと続いた(「ミスター・レノンのために、歌ってくれ!」とポール)。実際のところ、「ヒア・トゥデイ」を知っている人、歌える人はいないに等しい。それでも「ブラックバード」同様、この曲は彼が毎回演奏せずにはいられない曲なのだ。さらに彼は、ジョージ・ハリスンのために、亡き友から譲り受けたウクレレで「サムシング」を演奏した。彼の妻ナンシー・シェベルに捧げた「マイ・ヴァレンタイン」は、いまや彼の代表曲のひとつに挙げられる。2012年のスタジオアルバムに収録された時からですでに評価されていたが、その後何年も歌い続けることで、より思い入れの強い曲となり、いまとなってはレナード・コーエンの「タワー・オブ・ソング」の域にまで達した。ベテラン・ソングライターは自分の全てを集約し、彼らしからぬ、だが彼にしか書けないシンプルな愛の歌を作り上げたのだ。

彼がいまなお走り続け、自分の限界を超えようとする原動力が何なのか、はっきり知る者はいない。「ヘイ・ジュード」のあと、アンコールで再びステージに戻った彼は(「ゴールデン・スランバー」からのメドレーを披露してくれた!)、彼は観客に「もっと聴きたいかい?」と尋ねた。みんなの答えはイエス――だが、誰よりもポール本人が望んでいたのは明らかだった。彼がもう1曲演奏したがっているのと同じくらい、我々も、何でもいいから聞きたがるべきだったのだろう。彼はダンスしながらステージを後にしてしまった――過去60年間、ステージ上で半生を過ごしてきた後もなお、彼は観客にさよならを告げるのが苦手な男なのだ。観客を楽しませる、なんとも知的なやり方だ。ポール・マッカートニーとはいったい何者なのか、世界が理解するのにはあと60年は必要なようだ。観客が彼を呼び戻す間も、彼はするりと身をかわしていく。

=セットリスト=
ハード・デイズ・ナイト
ハイ・ハイ・ハイ
キャント・バイ・ミー・ラヴ
ワインカラーの少女
カム・オン・トゥ・ミー
レット・ミー・ロール・イット
フォクシー・レディ
アイ・ガット・ア・フィーリング
マイ・ヴァレンタイン
1985
恋することのもどかしさ
夢の人
ラヴ・ミー・ドゥ
ブラックバード
ヒア・トゥデイ
レディ・マドンナ
ファー・ユー
ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト
サムシング
オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ
バック・イン・ザ・U.S.S.R.
レット・イット・ビー
リブ・アンド・レット・ダイ
ヘイ・ジュード

アンコール:

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
ヘルター・スケルター
ゴールデン・スランバー
キャリー・ザット・ウェイト
ジ・エンド

Translated by Akiko Kato

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