モンティ・パイソンのエリック・アイドル、著作で60年代の喜劇界や音楽界を回想

―本には「モンティ・パイソン」の「モンティ」という名前はあなたの発案で、地元のパブでよく会う知り合いからもらったと書いています。その人はそのことを知っているのですか?

その人はパブでの有名人ってだけで、友だちというわけじゃなかった。みんなが「今日、モンティ、来た?」とか「あれっ、モンティ、どこ?」って言ってしまうような人。だから、彼は知らないよ。それに、そのパブはワーウィックシェアにあって、モンティ・パイソンをやる頃には私はその地区からロンドンに引っ越していたんだ。彼が気付いたかも知らない。気付いていてくれたらいいけど。そんなふうに自分の名前を覚えてもらえるって悪いことじゃないと思うよ、マジで。

―パイソンではあなた以外のメンバーは二人一組で脚本を書いていたのですが、あなたは一人でしたよね。それが脚本家としてのあなたにどのような影響を与えましたか?

今も一人で書くよ。早朝に起き出して書き始めるんだ。相方を待つ必要もないし、そいつが遅刻する心配もないし、相方がまだ来ないからってコーヒーをいれて、新聞を呼んで、トイレで用を足して、相方が来るまでお喋りして……というムダな時間がない。私は思いついたらすぐに始めたいタイプだから。いつも言うのが、少なくとも私には私がいるってこと(笑)。ペアを組んで書く人は相手とアイデアのキャッチボールをしながら作ることが好きなようだが、私は一人で書く経験が豊富だし、自分のアイデアはそれを演じるグループにぶつけて反応を見るんだ。

―「パイソンのメンバーは全員どこか狂っていて、全員が集まると完全にイカれている一人の人間になると思う」と本で述べています。パイソンという集団の原動力を説明してもらえますか?

このグループには完全にノーマルな人間が一人もいない。奇妙なことだが、彼らの多くが何かのリーダーだったり、学校の代表生徒だったりしたし、これはかなり興味深いね。ただ、全員が本当に違っていて、6人それぞれが他のメンバーにできない特技を持っている。これがこの集団が上手く行く理由だよ。驚くほど衝突が少なかったし、みんな、脚本を書くためだけに、それも面白さを追求するために集まっていた。脚本家集団ってことが私たちのユニークさでもあると思う。最初に脚本を完成してから、それに従ってキャスティングするというやり方だった。

もちろん、私たちはもともとプロの脚本家で、マルコム・グラッドウェル的なことは1万時間やっている。訓練もした。子ども番組もやった。だから、チャンスが巡ってきたとき、みんな準備万端だったし、何よりもそれがチャンスだとすら気付いていなかった。だってみんな、パイソンの後は他のことをすると思っていたから。とはいえ、他のことなんてしちゃいないよね、結局。

―カナダでツアーするまでパイソンが有名だと気付かなかったようですが、そんなに長く気付かなかった理由は何ですか?

第2シーズンあたりまでツアーに出ることがなかったんだ。コヴェントリーで小さなショーをやる手はずを整えて、実際にやってみたら、観客は大喜びでね。それじゃあってことで、イギリス国内ツアーを行った。そしたら大盛況。カナダ・ツアーをする頃にはBBCが(CBCに)このシリーズを売っていたのさ。ウィニペグの会場の一番前の席の観客たちは全員イモ虫の衣装を着ていたよ。あれには本当に驚いた。(2014年に)ロンドンのO2でショーを行ったとき、観客の半数が番組のキャラクターの衣装を着ていた。1万8000人が入る会場で、10日間興行したときの話だよ。あれは本当にタイミングが良かったよ。だって、時期が後ろにずれていたら、テリー・ジョーンズはあんなに長くスケッチができなかっただろうからね。

Translated by Miki Nakayama

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