地方都市から全米にミュージシャンを輩出し続ける登竜門に、飛び込んではみたのだが

僕が通っていた当時の水曜の様子。なお今年6月に刊行されたムック「Jazz The New Chapter 5」では、このウォリーズカフェの歴史や思想について紹介しています。(Photo by ROOTSY / Gen Karaki)

脱サラして渡米した元編集者、音大に入ってはみたものの、実際に彼を鍛えたのは街の老舗ジャズクラブだったようで……。

※この記事は6月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.03』内、「フロム・ジェントラル・パーク」に掲載されたコラムを加筆・修正したものです。

ボストンに住んだことのあるジャズ/R&B系のミュージシャンなら、誰もが一度はウォリーズのステージに上がっているはず。そう言い切っても過言じゃないほど、ウォリーズというクラブは登竜門的な存在として広く認知されています。ロイ・ハーグローヴもエスペランサもレタスも、みんなここから全米に巣立っていったのじゃ、みたいな語り草とともに。

その登竜門に僕が初めて足を踏み入れたのは、音大に入って最初の学期が終わる頃だから、2016年5月の上旬だったかな。とにかくその日から、ドラクエみたいなロールプレイングゲームが始まったのでした。右も左もわからないところからたどたどしい英語で村人に話しかけ、その世界の地図を少しずつ明らかにしていくわけです。ぬののふく状態の僕はまず、このハコでは各曜日ごと7つのハコバンが、毎夜22時から年中無休でライブをしていることを知りました。あとは毎日夕方にジャズのジャムセッションがあって、こっちはファーム的な位置付けっぽい。

それから3週間近くかけて7つの曜日をコンプリートし、ようやく各曜日の音楽性が把握できました。おおざっぱに言うとこんな感じです。月曜日はジャジーなブルース白人多め。火曜はホットでオルガンが効いた16ビートファンク。水曜はクールでメロウ、グラスパー的。木曜はラテンジャズとサルサ。金曜土曜はストレートアヘッドないわゆるジャズ。日曜はヴォーカル入りでソウル色が強い。

自分は迷いなく水曜のハコバンが気に入りました。なにしろアメリカに来てからの半年弱の間に見た、学内・学外どのライブよりカッコ良かったし、バンドも客も他の曜日より黒人の比率が高くて、素朴に黒人文化への憧憬が発動したのもあったように思います。それで毎週水曜のウォリーズ通いがスタートしました。

いま思えばレベル上げみたいなもので、通ってるうちに段々と、まずはドアマンがパスポートを見せなくても入れてくれるようになり、次はバーテンのフランクが、僕の顔を見るなりコーラを出してくれるようになり(飲めないので)、ようやくバンドリーダーと会話を交わすようになった頃には、もう夏も盛りを迎えていました。

バンドリーダーの名前はクレイグ・ヒルといって、のちに黒田卓也さんのバンドでテナーを吹くことになる男。たぶんケイシー・ベンジャミンの影響でワーミーペダルを踏んでるんだけど、赤いワーミーに合わせて赤いスニーカーを履いてるのがお洒落でした。他のメンバーの名前もだんだんわかってきて、キーボードがマーティン、ベースがアンソニー、ギターが唯一の白人でコーリー、ドラムがジャーメイン。


筆者が水曜日のウォリーズカフェで撮影した、クレイグ・ヒル率いるバンドの演奏風景

お客さんの半分は地元の音楽好きで、あと半分がガイドブックを見て来た観光客。それと最前列に毎日数人、僕を含めたミュージシャン志望者がICレコーダーを立てて陣取っています。バンドのレパートリーとアレンジを覚えるためです。

判明してきた水曜日のレパートリーは、クリスチャン・スコットやグレッチェン・パーラト、RHファクター、そしてグラスパー・エクスペリメントなんかのカバーが中心。オリジナルも2曲あって、曲名もないのでリフを口ずさんで伝え合っていました。そうこうするうち、客の減った遅い時間、楽器を持参してきた客がメンバーと交代する光景を見かけるようになります。

シットイン(飛び入り)ってやつです。最初のうちは仲間うちで示し合わせてるのかなーと眺めていたものの、どうやらそうでもなくて、要は「おれにも上がらせろ!」ってアピった奴にチャンスが回ってくるだけっぽい。となると自分もやってみたくなるのが道理なのですが、臆病なのとシャイなのとで、なかなか言い出せないまま時間だけが過ぎていきました。

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