ビートルズのレコーディング・エンジニアを務めたジェフ・エメリックが逝去、その軌跡をたどる

エンジニアとして『サージェント・ペパーズ』、『リボルバー』、『アビイ・ロード』など数々の名作を手がけたグラミー受賞歴もあるジェフ・エメリック (Photo by Monti Spry/Central Press/Hulton Archive/Getty Images)

オーディオ・エンジニアとしてビートルズの『サージェント・ペパーズ』、『リボルバー』、『アビイ・ロード』数々の名作を手がけたジェフ・エメリックが亡くなった。72歳だった。

オーディオ・エンジニアとして、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』や『アビイ・ロード』などザ・ビートルズの名作を手がけたジェフ・エメリックが2018年10月2日にこの世を去った。エメリックの代理人デヴィッド・メイダがローリングストーン誌に明らかにしたところによると、死因は心臓発作だったという。享年72歳だった。

エメリックのマネジャーを務めるウィリアム・ザバレータは、公開した動画の中で、エメリックが急に具合が悪くなった時に彼と電話で話していたことを明かした。ザバレータはすぐに救急車を手配したが、間に合わなかった。「ジェフは長年に渡り、心臓を患っていた」とザバレータは言う。「彼はペースメーカーを埋め込み…そう、その時が来てしまったんだ。レジェンドを失ってしまった。彼は私の親友であり、良き指導者でもあった」。

「ジェフ・エメリックの知らせを聞き、とても残念でショックだ」とリンゴ・スターは述べている。「彼は素晴らしいエンジニアだった。スタジオでは僕ら全員にとってとても頼りになる人だった。『リボルバー』では、彼とジョージ・マーティンが僕らをステップアップさせてくれた。彼の死は惜しまれる。彼の家族には、バーバラと僕から心からお悔やみを申し上げる。ピース&ラヴ リンゴより愛を込めて」

ビートルズのプロデューサーだったジョージ・マーティンの伝記の著者として有名なケネス・ウォマックも、ローリングストーン誌に声明を寄せている。「ジェフ・エメリックは革新的なエンジニアだった。アーティストの期待に応えるためならどんなことでも全て挑戦してみよう、という熱意を持っていた。よく知られているように彼は、アルバム『リボルバー』に収録された楽曲『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』の中で、ダライ・ラマが山の頂で説法している感じのサウンドを実現し、『アビイ・ロード』で見事にビートルズの最後を締めくくった。彼の師だったプロデューサーのジョージ・マーティンのように、エメリックもまた、アーティストが持ち込む楽曲の良さを最大限に引き出すことを常に考えていた。きめ細かい仕事をする彼は、当代最高のエンジニアだった」

エメリックが初めてビートルズと仕事したのは1962年9月。彼はわずか16歳で、EMIスタジオ(後のアビイ・ロード・スタジオ)のアシスタントとして前日から働き始めたばかりだった。最初の数年間エメリックは、EMIでラッカー盤のカッティング、マスタリング・エンジニア、バランス・エンジニアなどさまざまな仕事をこなした。その合間に初期のビートルズのセッションをサポートし、『シー・ラヴズ・ユー』や『抱きしめたい』などの名曲が生まれた。1966年、マーティンはエメリックを正式にビートルズのサウンド・エンジニアに指名した。サウンド・エンジニアとしての初仕事は、アルバム『リボルバー』に収録された『トゥモロー・ネヴァー・ノウズ』だった。

ジョージ・マーティンの息子ジャイルズ・マーティンは10月2日、ツイッターに追悼文を投稿している。「エメリックのご冥福をお祈りします。レコーディング・スタジオに優雅なサウンドをもたらした、最高で最も革新的なエンジニアでした。私の父と多くの仕事をこなす彼の姿を見ながら、私は育ちました。彼の携わった史上最高の音楽には誰もが感動させられました」

エメリックは、アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』で、グラミー賞の“ベスト・エンジニアード・アルバム(クラシック以外)”を受賞している。また、『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』のセッション中にメンバー間の緊張感についていけないとして一度は降りたものの、楽曲『ジョンとヨーコのバラード』のレコーディングで復帰。最後のアルバム『アビイ・ロード』の製作に加わった。EMI時代にエメリックは、ザ・ゾンビーズの名作アルバム『オデッセイ・アンド・オラクル』のエンジニアリングも手がけている。

Translated by Smokva Tokyo

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