ザ・キラーズ「ミスター・ブライトサイド」に隠された制作秘話

フラワーズがヴォーカルラインのインスピレーションを得たのはデヴィッド・ボウイの「クイーン・ビッチ」で、15年を経て、フラワーズはこの2つの曲の旋律の類似性を、実際に「And I’m phoning a cab, ‘cause my stomach feels small/There’s a taste in my mouth but it’s no taste at all」とボウイの歌詞をあてて実証してくれた。「19の頃、取り憑かれたように『ハンキー・ドリー』を聞いていた。あのアルバムには一種の緊迫感があって、彼が意味するものがビジネスだって感じを受けたから、俺は『ああ、わかったよ、俺もやりたい』って思ったのさ」と彼。しかし、歌い出したフラワーズはボウイの仲間だったもう一人のアーティストのマネも始める。そう、イギー・ポップがその人だ。「イギーの『ラスト・フォー・ライフ』を聞くと、彼は『Sweet Sixteen(原題)』のモノトーン・バージョンをやっていて、俺はその歌い方をマネしたんだよ。俺の声がイギーよりもちょっと甘いし、まだガキだったから、あんなふうな歌声になったってだけ」と、フラワーズが説明する。

最終的にフラワーズとキューニングは一緒に演奏するミュージシャンを見つけ、その一人がドラマーのマット・ノークロスで、彼がこの曲に最初のドラムビートを与えた。マットのドラムが入ったことで、この曲の可能性に2人は気付いたのだ。「(マットは)居間にドラムをセットアップしていて、まだベーシストが決まっていなかったから、とりあえず俺がベースを持ってやってみたら、何故か最後まで弾けちゃったって記憶している」とフラワーズ。「最高だった。あれは精神を浄化する曲だったね。バンドをやっている人間があのときの俺と同じように感じるってことを、当時は知らなかったから」

最終的にキラーズのラインナップは、ベーシストにマーク・ストーマー、ノークロスの後任ドラマーのロニー・ヴァヌッチ・ジュニアで落ち着き、バンドをブレイクへと導いたファースト・アルバム『ホット・ファス』をレコーディングするお膳立てが揃う。「初期の頃はかなりの数の曲を作っていて、『ミスター・ブライトサイド』は初めて完成させた曲だった」と、フラワーズが当時を懐かしむ。「そのあと、ストロークスの『Is This it(原題)』が出た。これで世間の音楽レベルが上がったと悟って、俺たちは『ミスター・ブライトサイド』以外の楽曲は全部捨てたよ。そして新たに曲を作って『ホット・ファス』を完成させたのさ」と、彼は笑う。

キラーズは、イギリスのグラストンベリー・フェスティバルでこの曲をプレイしたとき、自分たちの手の中にヒット曲があることを確信した。彼らは至るところでライブを行い、この曲はイギリスのラジオ局で流されるようになった。グラストンベリーで彼らが登場したのはジョン・ピール・テントだったが、この曲を演奏した途端、「会場が爆発したみたいになった。まるでセックス・ピストルズの記録映像のワンシーンみたいだった」と、フラワーズが顔を輝かせながら言う。

それ以来、カジノからスーパーまで、この曲を至るところで耳にするようになった。大学フットボール・チームのミシガン・ウォルヴァリンズなどは試合でこの曲を使うようにすらなっていた。フラワーズ自身、この曲の広がりに驚いているとはいえ、ヒットした要因は十分に理解している。「プレコーラス部分にアンセムっぽい雰囲気があって、これはオアシスを聴き込んで学んだことだよ。そういう影響は『ホット・ファス』の至るところでにじみ出ているからみんな気付くと思うし、特に『サムバディ・トールド・ミー』と『ミスター・ブライトサイド』のコーラスの配置の仕方に顕著に出ているかも。このアンセム風の雰囲気っていうのは、(オアシスの)『ドント・ルック・バック・イン・アンガー』や『ホエア・ストリーツ・ハヴ・ノー・ネイム(約束の地)』に負けない曲を作るっていう挑戦だった」とフラワーズが説明する。このあと、彼は一瞬間を置いて、微笑みながら続ける。「自分がそんなことを考えていたっていうのは、今なら正気じゃないとわかるけど、当時の俺はそんな大それたことを考えていたのさ」



Translated by Miki Nakayama

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