ジョーン・ジェットが語る、自身の半生とMeToo運動が音楽業界に浸透しなかった理由

―なるほど。あなたのドキュメンタリーの中でもMCA(※総合メディア企業:Music Corporation of America)があなたのレコード売り上げを積極的に邪魔していたけど、彼らのレーベルからリリースされていたレコードなので、邪魔する意味がわからないと言っていましたね。

ちゃんと考えたら馬鹿げているってわかるよね。自分のレーベルが敵なんだけど、それを誰かに言うと、大げさだとか、でっち上げだと思われるわけ。1984年的な考え方だけど。

―そういう経験もランナウェイズでの活動も踏まえて、#MeToo運動が音楽業界で活発にならない理由は何だと思いますか?

これはとても良い質問ね。ハリウッド以外で活発じゃない理由ね。私に言えることは、品行の悪さって至るところで目にするってこと。つい最近、ペンシルベニア州のカトリック神父のニュースを見たでしょ。性的虐待をしていると疑わしい住民の名前を公表したけど、教会がそうしたのはそうせざるを得なかったからだと思うわ。ハリウッドも同じで、あの運動が起きたのはそうせざるを得なかったから。他の業界でも確実に起きると思うけど、それがいつになるのかはわからない。運動が始まるときには、そういうメカニズムをコントロールしている人たちが運動をコントロールすると思う。ただ、どんなふうに始まるのかは予測がつかないのよ。

―ランナウェイズのマネージャー、キム・フォウリーがこのバンドをセクシー路線で売り出して人気を博したのですが、大人になってからその事実とどんなふうに折り合いを付けたのですか?

そうね、私の考え方って他の女の子たちとちょっと違うのよ。キムとは上手く付き合えていたし、とても仲が良かった。彼のせいで気まずさを感じることは一度もなかったしね。それにバンドの人気が彼の手柄とも思っていなかった。もしかしたら、ドキュメンタリーでその部分が曖昧かもしれないわね。



―ドキュメンタリーの中に、フォウリーがバンドのボーカリストのシェリー・カーリーに下着を着せてポーズを取らせる場面がありますよね。

あれはね、あそこにいた女の子たちは嫌ならいつでもやめられたの。強制的にやらされる人間は一人もいなかった。みんな、あそこにいたかったわけ。シェリーもそう。あとでシェリーがキムを責めたけど、あれは……みんな、あそこにいたし、彼女はあれをしたし、もし嫌なら「ねえ、みんな、キムがこんな写真撮影を決めたんだけど、そのことで何か聞いている?」って、シェリー自身が私たちに話すことだってできたのよ。彼女はそうしなかった。つまり、彼女も納得していたってこと。そして、私たちが嫌な気分になることも、あとで問題になることもわかっていた。
 キムを責める人が多くいるみたいだけど、それは彼が死んだからよ。つまり、死人に口なしだから。彼女たちがあれこれ文句を言うのは簡単だけど、私の考えは彼女たちとは違う。みんな、いつでもやめられたから。やりたくなかったら誰も強制しなかった。それなのに、あそこから離れなかったわけでしょ。私には理解できないな。


ランナウェイズ

―ドキュメンタリーの中のインタビューで、ランナウェイズ時代は異質な存在として人から見られている感覚があったと言っていました。その感覚はどのように克服したのですか?

克服してないかもしれないね。そんなふうに見られることに慣れたって感じ。つまり、「どうして私を見るの? 私が誰か知っているってこと?」みたいに。ほとんどの場合、そうじゃないと思う。大抵は私が他と違って見えるからだって自分でも思っている。他の人と同じ格好をしていても違って見えるみたいだし。特にビーチね。みんなと同じように短パンを履いて、Tシャツを着て、キャップを被っているのに。もしかしたら、おかしなオーラか何か出しているのかも。

―ドキュメンタリーで言っていたこと、つまり、ギターを抱えた少女という自分を現実社会でもしっかりと表していましたよね。

うん、そう。あの頃は髪の毛を黒く染めた少女はいなかった。パンクロックシーンが広がって、そういう格好の女の子が増えたけど、それってランナウェイズの後だしね。

Translated by Miki Nakayama

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