ニルヴァーナ『イン・ユーテロ』知られざる20の真実

『イン・ユーテロ』は、今年発売25周年を迎える (Photo by Charles J. Peterson/The LIFE Images Collection/Getty Images)


2. コバーンがスティーヴ・アルビニに白羽の矢を立てたのは、ピクシーズ風のレコードを作るためだった

コバーンはボストン発のオルタナロックバンド、ピクシーズの1988年作『サーファー・ローザ』を『ネヴァーマインド』のインスピレーションとして挙げており、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」については、同バンドのスタイルを意図的に模倣した曲だと認めている。「ピクシーズを初めて聞いた時、自分の何かが強烈に共鳴するのを感じた。俺はこのバンドに入るべきだと思ったし、そうじゃなかったら彼らのカバーバンドをやるべきだと思った」彼は本誌にそう語っている。文字通り世界で最もビッグなバンドとなったニルヴァーナは、当時制作における主導権を完全に握っていた。「『ネヴァーマインド』を出した後は、なんでも好きなようにやらせてもらえるようになった」ノヴォセリックはそう語っている。「それでカートは、ピクシーズ風のレコードを作ろうとしたんだよ」

3. アルビニはもともとニルヴァーナのファンではなかった

「はっきり言って、俺好みのバンドじゃなかった」当時の多くのバンドがそうだったように、ニルヴァーナについて懐疑的だったアルビニは、ビッグ・ブラックとも交流が深いジャーナリストのGillian G. Gaarにそう語っている。ニルヴァーナのことはMTVで知ったという彼は、バンドのライブを観たこともなかったという。アルビニが『イン・ユーテロ』のプロデュースを手がけるという噂が流れた時、彼はバンド側に「噂を耳にしたけど、俺は聞いちゃいない」と記したファックスを送り、ニルヴァーナは正式にオファーを出した。


4. アルビニは報酬として10万ドルを要求し、膨大な額を生んだであろう著作権契約を結ばなかった

アルビニがバンド側に提出した4ページに及ぶ提案書には、共に仕事をする上での原則に加えて、彼が著作権契約を結ばないという旨が明記されていた。「プロデューサーやエンジニアが著作権収入を受け取るというやり方は、倫理的に間違ってる。俺はやるべきことをやり、その対価を一括で受け取る。配管工と同じだ」彼の提案書にはそう記されていた。「10万ドルでも俺には多すぎるぐらいだ。金を持て余し、眠れない日々を送るのはごめんだ」 アルビニが森に囲まれたPachyderm Studiosを選んだのは、外部の人間による干渉を阻むためだった。出禁扱いとしていたゲフィン・レコーズのスタッフたちを、アルビニは「踏ん反り返った頑固者たち」と呼んでいた。

5. スティーヴ・アルビニはスタジオでの空き時間に、エディー・ヴェダーにいたずら電話をかけた

アルビニは電話口でデヴィッド・ボウイのプロデューサーであるトニー・ヴィスコンティを名乗り、パール・ジャムを脱退すればソロ作のプロデュースをやってもいいと申し出た。ニルヴァーナとパール・ジャムの確執はメディアの扇動による部分が大きいものの、コバーンはバンドのことを必ずしも好意的に捉えてはいなかった。「やつらと揉めたことはないよ」1993年のMTVとのインタビューで、コバーンはそう語っている。「クソみたいなバンドだとはずっと思ってるけどな」 だが1992年のMTV Video Music Awardでは、2人は一緒に悪ふざけに興じたという。「エリック・クラプトンが『ティアーズ・イン・ヘヴン』を歌ってる時に、ステージの真下にいた俺たちは一緒にふざけてた」ヴェダーは2006年に本誌にそう語っている。「ジムになってるスペースで、こんな風に体をくねらせてた。中学生みたいにさ」

6. アルバムの完成記念として、メンバーたちは履いていたズボンに火を点けた

アルバムのファイナルミックスを聴きながら、興奮したメンバーたちは履いていたズボンにシンナーをかけて火を点けた。危うくボヤ騒ぎになるところだったが、ビールで消火したという。スタジオでのこういった珍エピソードは、他にも多数残されている。デイヴ・グロールは真夜中に自身のハットを燃やし、驚いたアルビニは飛び起きたという。「彼とはウマがあったよ、どっちもいたずら好きだったからね」グロールはNPRにそう語っている。

Translated by Masaaki Yoshida

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