「規律を守りつつ自由になる」チリー・ゴンザレスが語るピアノと人生の哲学

ー(『Solo Piano III』プレスリリースに掲載された)コメントに「私達の周りにある美しさと醜さを表現している」とありますが、なぜその表現に至ったのか、もう少し詳しく教えてください。

ゴンザレス:このアルバムの曲を書き始めてから、自分の中で何かが変わっていることに気づいたんだ。いつの間にか、間違ってる音符や、しっくりこない和音を許容できるようになっていたというか。まあ、あくまで相対的に言えば、ということだけどね。僕は通常はとても聴き心地のいい音楽を作るからさ。とにかく僕はようやく、そういう心地よくないものを残しても構わないと思えるようになって、音楽で現実を表現できるというところに一歩近づいたんじゃないかと感じたんだ。ひたすら現実から逃避するだけではなくてね。ただそれは、僕の中で起こっていることの説明であって、リスナーが音楽の中にどれだけそれを聴き取れるかは分からないけどね。

ー作曲について教えてください。(『Solo Piano III』では)全て曲を誰かに捧げていますよね? これは、その人にインスピレーションを得て作曲したということでしょうか? このアイディアは、どのように生まれたものですか? 

ゴンザレス:いや、最初に曲があったんだ。僕の場合、直接誰かからインスピレーションを得るということはないからね。曲を書く時は、ピアノと向き合って、ひとつのムードを捉える音楽的な瞬間を探そうとしていて、さらにそこに真の感情があるかどうかを見極めている。僕が探しているのは、言葉にできないような、極めて複雑な気持ちの混在がそこにあるかどうかなんだ。その瞬間が見つかったら、「これだ、これは言葉では言い表わせない。これだけ入り交じった感情を説明するのは音楽にしかできないことだ」と思えるんだよ。とてもじゃないけど、「これはハッピーな曲です。こっちは悲しい曲です」というような単純なものではないんだ。人間というのは常にいろんな感情が入り交じっているものだからね。


『Solo Piano III』収録曲『Present Tense』。ゴンザレスと縁の深いダフト・パンクのメンバー、トーマ・バンガルテルへ捧げられている。

ゴンザレス:そして、曲を書いてから誰に捧げるかということを考えたんだけど、これは聴く人に、少し余分に情報を与えるためのものだよ。興味を持つ手がかりというかさ。というのもピアノ音楽は、多くの人にとって非常に抽象的なものでもあるからね。言葉がないから近寄りがたく感じてしまうし、聴き方が分からない人もいる。僕はすべての人に向けて音楽を作りたいし、そこにはほとんどラップしか聴かない人も、エレクトロニック・ミュージックばかり聴いている人も含まれているわけ。だからそういった人達が入りやすいようにしたいとはいつも思っているんだ。僕自身も誰かミュージシャンが、その人の音楽世界に入りやすいような工夫をしてくれてると嬉しいからさ。というわけで、誰かに曲を捧げているのはそういった理由。

あとは、僕が個性を持ったミュージシャンであることに気づいてもらうためかな。この個性は僕のしていることにとってすごく大切な部分であって、インストのピアノ音楽を作る場合、その個性をどう曲に反映させるかと言えば、曲のタイトルか、あるいは誰かに捧げるかっていう2つの方法になる。ちなみに曲のタイトルは、常にではないけど、ユーモア混じりであることも多いね。

ーそのなかで、捧げている女性に関して、さまざまな分野の開拓者的な存在の人かと思います。そういう女性をリスペクトしているということですか?

ゴンザレス:そうだね。ファニー・メンデルスゾーン(19世紀に活躍した女性作曲家のパイオニア)も、アメリア・イアハート(1937年の世界一周飛行中に消息を絶った女性飛行士)も、素晴らしいエチオピア人のピアニストのエマホイ(・ツェゲ・マリアム・ゴブルー)も、ウェンディ・カルロス(シンセサイザーを用いた電子音楽の先駆者、1972年に男性から女性への性転換手術を行った)も、みんな重要な人物だと思うんだ。そして、僕達があまり女性作曲家を話題にしないのは社会構造のせいであって、それに対して常に疑問を持ち続けるべきだということを人々に思い出してもらうことは、もっと重要だと思う。僕は、社会から締め出されてる人達に注意を向けたいと思うし、それは誰かと言えば、例えば「女は作曲家にはなれない」と言われた女性作曲家だったりすると思うんだ。だって、そんなことを言われるなんて最悪じゃないか。もし彼女が誰かに励まされていたら、どんな人生になっていただろうって思うよね。


ミュージックビデオも制作された「Blizzard in B Flat Minor」は、1930年代から活躍した女流闘牛士のコンチータ・シントロンに捧げられている。

ー13曲目の「October 3rd」ですが、この曲を捧げている「Jason Beck」(ゴンザレスの本名)とはご自身のことでは?

ゴンザレス:このタイトルの日は、あるとても重要なことが起こったんだけど、公に話すにはあまりにプライベートな事柄なんだよ。でもこのアルバムの中でも特別な曲だということは、みんなに知ってほしかったんだ。僕にとっては、このアルバムの感情部分の中心をなしている曲なんだよ。それをどう伝えようかと考えて、変な話、一番退屈なタイトルにすれば気づいてもらえるんじゃないかと思ったんだ。なぜなら普段の僕なら、視覚的だったり言葉遊びだったりするタイトルをつけるから、特別な曲であることを知ってもらうためには、ほとんどタイトルなしと言えるくらい退屈な方がいいだろうと思った。それで、ある特別なことが起こった日付をタイトルにして、自分自身に捧げれば、人々が実際に何が起こったかを詳しく知ることなしに、この日が僕にとって大切な日だということが伝わると思ったんだ。

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE