名曲誕生の舞台裏、突然の解雇…業界屈指の名ドラマーがエルトン・ジョンと共に歩んだ50年

ー当時はエルトンがピアノとヴォーカル、ディーがベース、あなたがドラムという形態でした。ギターがいないバンドというのはとても新鮮でしたが、あれは誰のアイデアだったのでしょうか?

自然とあの形に落ち着いたんだ。アメリカに渡る前にも、僕らはイギリスの大学の学園祭とかで何度か演奏してた。でもこっちに移ってから、ポール・バックマスターがストリングスのアレンジを担当したアルバムのオーケストレーションを、なんとかバンドで再現しようと試行錯誤を始めた。ディーがベースでチェロのパートを表現したりね。当時はステージで使えるエフェクトといえば、せいぜいワウペダルくらいだった。でもディーはどんなに難しいアレンジも、アイデアでカバーしてみせるんだよ。僕らが「布教本部を焼き落とせ」みたいな曲を3人で再現したことに、オーディエンスは驚いてたね。いい気分だったよ。

『ライヴ!!(17-11-70)』に収録されている「布教本部を焼き落とせ」は実に18分に及びますが、あれは事前に練習していたのか、それとも完全に即興だったのでしょうか?

あれは即興だよ。ジャムセッションさ。今聴いてみると、「いったい何考えてたんだ?」って感じだけどね。互いの出す音に反応し合ってただけなんだけど、すごくいい流れが生まれてた。ラジオで生放送されたあのショーの音源には、一切編集が加えられてないんだ。

ーエルトンにとってアメリカでの初ライブとなったThe Troubadourでのパフォーマンスは、今やファンの間で伝説となっています。現場はどのような状況だったのでしょうか?

確かにあれは強烈だったね。まだ僕らが有名になる前で、一部のファンへのお披露目コンサートって感じだった。ディック・ジェイムスにこう言われたんだ。「アメリカでのこのショーは、君たちにとって一世一代のチャンスだ。うまくいけば、君らの人気に火がつくだろう。だがまぁ心配するな。もしうまくいかなかったら、俺がオックスフォード・ストリートの靴屋の仕事を紹介してやるから」なんてさ(笑)。結果的にその靴屋で働かなかくて済んだんだから、僕らは期待に応えたってことなんだろうね。

こっちでディーと僕は、当時スペンサー・デイヴィス・グループとつるんでた。彼らの最後のツアーに、僕はメンバーとして参加してたからね。ディーと知り合ったのもそのときさ。こっちに来たばかりの頃、ディーと僕はアメリカでの生活について、エルトンにいろいろアドバイスしたもんさ。サラダの注文の仕方とか、そういうくだらないこともね。こっちの1人前は、イギリスのそれよりも遥かにデカいからさ。

シーンにある種のムーヴメントが起きつつあったあの頃に、エルトンをサンセット・ストリップとかに連れてったことはいい思い出だよ。ロスのThe Troubadourでやったあのギグのことは、今でもはっきりと覚えてる。客席の最前列にニール・ダイアモンドの姿を見つけたときは、さすがにビビったね。スティーヴン・スティルスとレオン・ラッセルもいたな。どういう風の吹き回しか知らないけど、確かダイアナ・ロスも来てたと思う。超満員だったからすごく緊張したけど、演奏が始まったら肩の力も抜けた。最高に楽しかったよ。

Translated by Masaaki Yoshida

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