名曲誕生の舞台裏、突然の解雇…業界屈指の名ドラマーがエルトン・ジョンと共に歩んだ50年

エルトン・ジョンの1969年のデビュー作でドラムを叩いたナイジェル・オルソン(Photo by Steve Jennings/WireImage))

エルトン・ジョンのFarewell Yellow Brick Road Tourでスティックを握るドラマー、ナイジェル・オルソン。エルトンが絶大な信頼を寄せるドラマーが語る、ドラムの美学、オートレースへの関心、そして自身の去就について。

ドラマーのナイジェル・オルソンと出会ったとき、22歳のエルトン・ジョンは内気で不器用ながら、成功を夢見る若きピアニスト / ソングライターだった。1969年当時、ディック・ジェイムスのDJM Recordsの専属ソングライターだったジョンは、作詞家のバーニー・トーピンと組んでルルやロジャー・クックに曲を提供し、ユーロヴィジョン・ソング・コンテスト入賞を狙ってポップソングを書き続けていた。「あの頃、僕はよくディック・ジェイムスのオフィスに出入りしてた」  。オルソンは当時をそう振り返る。「エルトンはそこでよくデモを録ってて、ドラマーが必要なときはいつも声をかけられたよ。『後でスタジオに来てくれないかな、ちょっと手伝ってほしいんだ』みたいな感じでさ」

デモの即興レコーディングから始まった2人のパートナーシップは、以降50年間続くことになる。オルソンは『ホンキー・シャトー』『黄昏のレンガ路』『カリブ』『キャプテン・ファンタスティック』『トゥー・ロウ・フォー・ゼロ』『ソングス・フロム・ザ・ウエストコースト』をはじめとする、エルトンの代表作の数々に参加している。また彼がドラマーを務めたエルトンのコンサートは、これまでに2000公演を超えている。

エルトン・ジョンの引退ツアーとなるFarewell Yellow Brick Road Tour(9月8日のペンシルベニア州アレンタウン公演から開始)にも同行するオルソンが、長い年月をかけて培われてきたエルトンとの信頼関係、引退ツアーの見どころ、そしてエルトンにアメリカでのサラダの注文の仕方を教えたというエピソードまで、自身の言葉で語ってくれた。

ーエルトンの人気に火がつく数年前から、あなたは彼とタッグを組んでいます。エルトンとバーニーが共作したオリジナル曲を初めて聴いたとき、何か特別なものを感じましたか?

大昔の話だね。その曲は「恋人よ明日って何」のデモだったと思う。「Turn To Me」なんかも手応えはあったけど、全てが噛み合い始めたのは2作目の『僕の歌は君の歌』(1970年発表)のセッションだったと思う。1枚目の『エンプティ・スカイ (エルトン・ジョンの肖像)』の翌年に出たアルバムで、「僕の歌は君の歌」が収録されてる。レコード会社はRoundhouseっていうロンドンにある大きな会場で、彼にショーケースをやらせることにした。出たばかりだったアルバムから数曲演ることになって、エルトンは(ベーシストの)ディー(・マーレイ)と僕に声をかけてくれたんだ。

当時、僕はユーライア・ヒープっていうバンドにいたんだ。ライブにも9回くらい参加したと思う。その頃にエルトンのバンドでやらないかって声をかけられて、ディック・ジェイムスのスタジオでリハーサルをやることになった。バンドの演奏に合わせて最初の8小節を弾いた時点で、僕はこれが自分のやりたかった音楽だって確信したんだ。ものすごくリアルで独創的、これこそ僕が求めていた音楽だって感じた。そのショーケースはザ・フーの前座だったんだけど、反応もすごくよかった。僕らみんなすごく手応えを感じていて、バンドとして一緒にやっていこうってことになったんだ。それが今日まで続いてるってわけさ。

Translated by Masaaki Yoshida

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE