ジミー・ペイジ、クラプトン、ジェフ・ベックによる83年の「いとしのレイラ」を振り返る

このコンサートが大成功を収めたため、3人はアメリカ国内でARMSコンサートを数回行うことにした。このコンサートではジョー・コッカーが「With a Little Help From My Friends(原題)」を歌い、元フリーのボーカリスト、ポール・ロジャースがウィンウッドの代わりに参加。これが縁で、ペイジとロジャースはのちにファームを結成する。ペイジもアメリカでのライブでは友人たちのちょっとしたヘルプを得た。クラプトンとベックが「天国の階段」の終盤に順番に登場して演奏したのである。ライブの模様が撮影された映画の中で、ペイジは平然とこの曲の紹介を行っている。「まあ、みんなもこの曲をよく知っていると思うけど、これは俺たちの曲でもあるし、同じくらいみんなの曲でもある。一緒に歌ってくれ」というように。

その後、ペイジは80年代半ばにファームとしてアルバムを2枚制作し、レッド・ツェッペリンのバンドメイトと断続的に再結成を繰り返した。レインは1997年にコロラド州トリニダードにある自宅で多発性硬化症により他界している。クラプトンとベックは2010年にも再びジョイント・コンサートを行った。

Translated by Miki Nakayama

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE