追悼バート・レイノルズ 成功と転落に左右されない「気楽さ」の由来

人々に愛されたスター、バート・レイノルズが82歳で死去(Photo by Terry Disney/Express/Getty Images)

『脱出』『トランザム7000』『ブギーナイツ』などで知られるカリスマ映画スターのバート・レイノルズが米国現地時間9月6日、82歳でこの世を去った。

レイノルズの死因は心不全。姪のナンシー・リー・ヘスはレイノルズは「健康問題を抱えていたが、これは全く予期していなかった」と語った。

ヘスが続けた。「叔父は単なる映画アイコン以上の存在でした。寛大で、情熱的で、繊細な人で、家族、友人、ファン、演技を学ぶ学生たちに身魂を傾けていました。川で尾骨を骨折した俳優が映画を撮り終えるまで演技を続けることは本当に大変です。でも叔父はそれをやってのけました。叔父は(『Once Upon a Time in Hollywood(原題)』で)クエンティン・タランティーノや素晴らしいキャストと一緒に演じることを楽しみにしていました」と。

『テキサス1の赤いバラ』でレイノルズと共演したドリー・パートンは、「今日の私は世界中にいる何百万人のバートのファンと同じように、大好きなスター俳優の悲報を聞いて悲しみに暮れている。彼の面白い笑い声をずっと覚えているだろう。あのいたずらっ子のような目の輝きも、奇抜なユーモアセンスも。あなたは永遠にお気に入りの保安官よ。安らかに眠ってね。ずっと愛している」とコメントした。

レイノルズが俳優としてのスタートを切ったのは60年代のTVシリーズ『ガンスモーク』だったが、彼を世界的な大スターへと押し上げたのは70年代、80年代に出演した映画作品だった。レイノルズがブレークしたのは米国南部を舞台にしたゴシックスリラーの名作『脱出』だったが、それから程なくして、レイノルズは『トランザム7000』『ロンゲスト・ヤード』『キャノンボール』などの大ヒットアクション映画やコメディ作品で急激にその名を知られるようになったのである。

1978年から1982年にかけて、レイノルズは毎年ハリウッドで最も興行収益を上げたスターだった。4年間連続という記録をレイノルズの前に達成したのはビング・クロスビーだけである。80年代と90年代のレイノルズはそれ以前の成功を維持できたとは言い難いが、1997年のポール・トーマス・アンダーソン監督作品『ブギーナイツ』でポルノ監督役を演じた後に再び注目を集めることになった。最初はこの役が気に入らず、エージェントをクビにしたほどだったが、この役でレイノルズはアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、ゴールデングローブ賞助演男優賞を得たのである。

Translated by Miki Nakayama

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