リモート・レコーディング・コンソールをレンタルし、デトロイトのグランド・シアターで1968年3月1日から始まったライヴを2回分レコーディングした。しかし残念ながら、いくつかの問題が発生してしまった。まず、彼らのライヴ・パフォーマンスの耳をつんざく大音量により、レコーディング・メーターはずっとレッドゾーンを指していた。さらに、オーディエンスからのリアクションが全くなかった。「女性があんな風に歌うのを誰も経験したことがなかったんだ」とエンジニアのフレッド・カテロは、アリス・エコースルによるジョプリン伝『Scars of Sweet Paradise』の中で述べている。
サンフランシスコ人による渦巻くサイケな長旅の興奮を、風通しが悪く面白味のないミッドタウン・マンハッタンのレコーディング・スタジオの中で再現することは、ひとつの難題だった。スタジオでトラックごとにレコーディングする従来の方法は、バンドの好む音楽の作り方に反した。「普通のレコーディング方法は、全てが完全に隔離されていた」と、ベーシストのピーター・アルビンは『Scars of Sweet Paradise』の中で証言する。「皆ヘッドホンを付け、ヴォーカリストは防音のヴォーカル・ブースに入る。ドラマーはどうしてよいかわからず途方に暮れる。それではバンドの共同作業によるレコーディングとは言えない」とアルビンは言う。ライヴの雰囲気を出すために、仕切りカーテンを低くし、スポットライトやバンドのPAシステムまで導入し、ライヴ・ルームの中にステージを設置した。さらなるライヴらしさを演出するためにサイモンは、スタジオのスタッフ、エンジニア、マネジャーたちを動員してオーディエンス役に見立て、彼らの歓声を録音したテープ・ループを用意した。「タンバリンやホイッスルなどを持たせ、“ここに立って適当に歓声や叫び声を上げ、タンバリンを叩き、ホイッスルを鳴らしてくれ”と皆に指示した」と、カテロは振り返る。