デヴィッド・ボウイのメンターだった舞踏家リンゼイ・ケンプ、80歳で逝去

イギリス人舞踊家で振付師のリンゼイ・ケンプ が80歳で他界した(Photo by Debi Doss/Hulton Archive/Getty Images)

デヴィッド・ボウイのメンターであり、コラボレーターだったイギリス人舞踊家で振付師のリンゼイ・ケンプが、現地時間8月25日に80歳で他界した。19歳のデヴィッド・ボウイを指導し、ジギー・スターダストのキャラクター形成に影響を与え、「ジョン・アイム・オンリー・ダンシング/John, I’m Only Dancing」のビデオに登場したという高名な舞踊家だった

製作中のドキュメンタリー『Lindsay Kemp‘s Last Dance(原題)』の監督ネンディ・ピント=ドゥシュンスキーがFacebookでケンプの死を正式に発表した。この投稿の中で、彼女は弟子たちとの練習をして「完璧な一日」を過ごしたあとに自宅で他界したと記している。「彼は非常に幸せにしていて、それは唐突にやってきた」とピント=ドゥシュンスキーの投稿に書いてあったと、ジ・アソシエイテッド・プレスが報じた。

高名な舞踊家として、そして振付師として製作した有名な作品に加え、1966年に当時19歳だったデヴィッド・ボウイは、ケンプの『Pierrot in Turquoise(原題)』に未来のアイコンとしてキャスティングされ、彼を師と仰いで師事した。

「私の楽屋にやってきたとき、彼は守護天使ガブリエルのようにその場に立った。私はマリアのように彼に一目惚れしてしまった」と、ケンプはかつてボウイとの初対面の様子を語っていた(BBCニュース)。「彼は明らかに多面的で、カメレオンで、華麗で、想像力を刺激する、類まれな才能に恵まれた人だった。しかし、私は彼にその才能の表現の仕方を教えたのだ」と。

また、ボウイが生み出した芝居がかったジギー・スターダストというキャラクター形成にケンプが協力したとしてクレジットされていた。1972年に行われたボウイのジギー・スターダスト・ツアーではダンサーとしてステージに登場し、1972年に発表された「ジョン、アイム・オンリー・ダンシング/John, I’m Only Dancing」のプロモーションビデオにも出演したのだった。

その後のケンプは、1973年にホラー映画『ウィッカーマン』、デレク・ジャーマン監督2作品(※『セバスチャン』と『ジュビリー』)、ボウイからインスピレーションを受けたトッド・ヘインズ監督作品『ベルベット・ゴールドマイン』、1993年のケイト・ブッシュの短編映画『The Line, The Cross and the Curse(原題)』などに出演。ボウイ同様にブッシュもケンプに師事していて、ブッシュの「天使と小悪魔/Moving」は師であるケンプへの賛辞として作った曲である。



Translated by Miki Nakayama

RECOMMENDEDおすすめの記事


RELATED関連する記事

MOST VIEWED人気の記事

Current ISSUE