N.W.A『ストレイト・アウタ・コンプトン』: 知られざる12の事実

4. 「ファック・ザ・ポリス」のインスピレーションはメンバー間で異なる

ドクター・ドレーはイージー・Eと一緒に、バスを待っている人々をペイントボール弾で打った思い出についてこう語っている。「警察に見つかった俺たちは路上でうつぶせにさせられて、その間ずっと銃を向けられてた」ドレーは2007年にIrish Examiner紙にそう語っている。「猛烈にムカついたから、その思いを曲にしたんだ」一方でMCレンと共にリリックを書いたアイス・キューブは、同曲の内容をより広い意味での社会批判と捉えている。「当時ロサンゼルス市警のトップだったダリル・ゲイツは、ギャングたちを一掃すると公言してた」彼は2015年に本誌にそう語っている。「ギャングの制圧っていうのは、やつらが気に食わない人間を片っ端から取り締まるための大義名分だった。それらしき服装をして特定のエリアを歩いてると、ごく普通の子供でも警察から目をつけられた。権力の濫用以外の何物でもないその状況を、俺は黙って見ていられなかった。もうたくさんだっていう思いを、俺たちの武器である音楽で表現したんだ。暴力を伴わない抵抗さ」

5. ドクター・ドレーは「ファック・ザ・ポリス」のレコーディングに及び腰だった

1988年初頭、交通違反を理由に週末限定で奉仕活動を課せられていたドレーは、同曲を発表することで警察の印象を悪化させることを懸念していた。「地元警察から完全に目をつけられてたドレーは、あの曲を発表することに消極的だった」キューブは『Original Gangstas』でそう語っている。「奉仕活動期間の終了後、俺は改めてあの曲に着手しようと提案した。ドレーは二つ返事でオーケーしたよ」

6. アイス・キューブにとって、「ファック・ザ・ポリス」の意味合いは1988年から変わっていない

「あの曲の持つメッセージ性は今も古びていない」キューブは2015年に本誌にそう語っている。「警察や政治家による一般市民の生活への干渉っていうのは、もはやアメリカの日常となってしまっていて、やつらによる暴力や差別が横行している。俺たちが「ファック・ザ・ポリス」を書いたのは1988年だけど、その背景には400年にわたる抵抗の歴史がある。今でもあの曲が色褪せないのは、状況が変わっていないからなんだよ」

7. 警察はツアー中のメンバーの警護を断固拒否した

N.W.Aの「ファック・ザ・ポリス」に対し、FBIが「警察の印象を著しく悪化させ、市民の警察官に対する暴力を煽っている」とする抗議文を発表したことを受け、全米の警察官たちはツアー先での彼らの警護を拒否した。伝記本『Welcome To Death Row』では、N.W.Aがコンサートで「ファック・ザ・ポリス」と「ストレイト・アウタ・コンプトン」を演奏しないという旨の契約書に署名していたとされているが、最終日のデトロイト公演で彼らは契約を破り、見張っていた私服警官がステージに駆けつける事態となった。しかし正当な理由がないとして、メンバーは全員逮捕を免れている。

8. D.O.C.はリリックを書く上で、N.W.Aのイメージに沿ったキャラクターになりきった

「ダラス出身で内気でオタクだった俺は、西海岸のギャングスタカルチャーとはまるで無縁だった」2016年に本誌にそう語ったD.O.C.は、「ストレイト・アウタ・コンプトン」「ギャングスタ・ギャングスタ」「ペアレンタル・ディスクレッション・イズ・アドヴァイズド」の3曲でクレジットされている。「リリックはダチから聞いた話を参考に、想像を膨らませながら書いた。イージーのラインを書くときは、彼のイメージに合わせた。彼が女好きだってことは有名だったから、女性蔑視すれすれの愉快なキャラクターを作り上げたんだ」彼は『ストレイト・アウタ・コンプトン』でドクター・ドレーにも多くのヴァースを提供しているほか、N.W.Aの次作『Nigaz4life』、そしてドレーのソロ作にも参加している。「ロサンゼルスで会ってから数日間は自分で書いてたけど、それ以降ドレーは自分のヴァースを全部他の人間に書かせてた」D.O.C.はそう語っている。借りを返す形で、N.W.AはD.O.C.のソロデビュー作『ノー・ワン・キャン・ドゥー・イット・ベター』の最終曲「ザ・グランド・フィナーレ』で客演している。

Translated by Masaaki Yoshida

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