スモーキー・ロビンソン、幼なじみのアレサ・フランクリンを偲ぶ

(Photo by Catherine McGann/Getty Images)

スモーキー・ロビンソンは、アレサ・フランクリンと出会った8歳の頃を回想し、そしてその時すでに彼女がソウル・クイーンだと実感していたと語る。「彼女が人々の記憶から消えることはないだろう」。

「今朝、人生で最も長い間友人だった人が天上の父のもとへと旅立った」と、アレサ・フランクリンが他界したあと、スモーキー・ロビンソンがTwitterに投稿した。ロビンソンが育ったのは、米ミシガン州デトロイトの東側にあるノースエンドで、フランクリンの家と目と鼻の先だった。フランクリンの家では彼女の父親であるC.L.フランクリン牧師がゴスペル・ミュージックのビッグネームたちの世話をしていた。「トップクラスのゴスペル・アーティストたちは皆、ひところフランクリン牧師の教会にやって来て歌っていた」と、ロビンソンがローリングストーン誌に語ってくれた。「そして、その中にはフランクリン牧師の自宅に泊まる人もいた」と。ロビンソンがデトロイトのモータウンに所属して、自身のグループであるザ・ミラクルズで大成功を収め、フランクリンはニューヨークのコロンビアと契約したが、二人の友情が途絶えることは一度もなかった。今回、ロビンソンはフランクリンとの思い出を本誌読者と共有しようと電話インタビューに応えてくれたのである。編集を加えてはいるが、そのとき話された彼の言葉を紹介しよう。

私がアレサと知り合ったのは8歳のときだ。彼女の家族がバッファローからデトロイトに引っ越してきて、彼女の兄セシルと僕は仲の良い友だちだった。彼らの家に遊びに行っていたのを今でも覚えている。それまで一度も大きな屋敷に行ったことがなかったからね。(二人が初めて会った)あの日、アレサは5〜6歳くらいで、ピアノのところでゴスペルソングを歌っていたんだ。ほんの子供なのにアレサはとても歌が上手かったよ。彼女はいつもあの頃と変わらなかった。彼女はいつだってアレサだったんだ。

私たちは色んなことを一緒にやったよ。最近は子どもたちが子どもらしいことをしないようだね。外で遊ぶこともないようだし。コンピュータ・ゲームのしすぎで親指の指紋が薄くなっているらしい。でも、私たちが子どもの頃は外で遊んだし、かくれんぼや缶蹴りをやったものさ。子供の頃のアレサはお転婆だったよ。

二人ともプロの歌い手になったあと、私は彼女が本当に誇らしかった。彼女は到るところで歌っていて絶好調だった。ソウル・トレイン(この番組で二人がジョイントしたのは1979年で、フランクリンはロビンソンの「Ooo Baby Baby(原題)」を歌った)は素敵な思い出だ。あれはすべて即興で、一切事前に打ち合わせしていなかったよ。そのせいで特別さが増したんだ。彼女は電話帳の名前をメロディーに乗せただけでも、自分らしい歌にしてしまう歌手だった。

Translated by Miki Nakayama

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