全米初登場首位を記録、映画『クレイジー・リッチ!』主演女優が語る「ハリウッドにおけるアジア系」

コンスタント・ウー、映画『クレイジー・リッチ!』のワンシーン


ー『クレイジー・リッチ!』はハリウッド史上初のアジア系フルキャストのメジャー系ラブコメ映画ですが、ステレオタイプに戦いを挑んでいます。その一方で、ステレオタイプを助長しているようにも見えます――たとえば、西欧文化に染まって物質主義化したアジア系のイメージとか。アジア系の役柄を演じるにあたって、その辺はどうやって折り合いをつけているのですか?

ステレオタイプが全体の1%でしかないなら、それは必ずしも悪いことじゃない。全体像を描くためには、アジア系アメリカ人を物語の主人公にするのが唯一の方法よ。たしかに、アジア系アメリカ人=数学好きのオタク、っていう図式が出来上がってる。でもそれは、映画には数学好きのオタクなアジア系しか出てこないからなの。アジア系は兄弟同士で喧嘩なんかしないし、将来は縄跳びの世界チャンピオンになりたいなんて夢見たりしない、とかなんとか。アジア系が物語の中心なのに、全体像を描こうと思っても限られたスペースしか与えられないの。『Fresh Off the Boat』で私が演じたジェシカが脇役だったとしたら、彼女の一部分をさらうだけで、全体像が描かれることはなかったでしょうね。ある人種の全体像を表現するということは、チェックボックスに印をつけておしまい、ってわけじゃない。人生をまるごと全部、あらゆる側面から表現することなの。もし固定概念に基づいた経験をテーマに作品を作るなら、固定概念とは何ぞや、というところが焦点になるでしょうね。

ーということは、映画で描かれる西欧的な消費主義は気にならない?

エレノア(ミシェル・ヨー演じるニックの母)もオークワフィナ(レイチェルのシンガポールの友人ペイク・リンを熱演)もすごく素敵なデザイナーブランドの服を着てるけど、どちらの役も、単に服を見せびらかすだけの存在じゃないわ。エレノアはとても洗礼されていて、美しい宝石もたくさん身に着けている。でも、彼女は長い間ないがしろにされてきた過去があって、冒頭のシーンでも出てくるけど、ホテルに入れてもらえなかった経験がある。だから彼女は、成功して手に入れたもので自分を着飾って自分の存在をアピールしているの。その根本にあるのは、マジョリティの文化がかつてアジア系アメリカ人をどう扱ってきたかということ。そういう意味では、これは固定概念じゃないわ。もし「アジア系はグッチが好き」というなら――ええ、その通り、だってそういう一面しか見てないから。何世代にもわたるトラウマとか、不安とか、その人の人となりついては語られない。(アジア系が)物語の主人公になって初めて、そういったことが語られるのよ。

ーこの映画に関しては、複数の民族ルーツをもつ俳優がアジア系の役を演じていることに対して批判の声も上がっています。共演者のヘンリー・ゴールディングも、彼が演じるニックはシンガポール人という設定ですが、彼自身は白人とのハーフです。この点についてはどう思いますか?

みんながつまらないことで大騒ぎをするのは、アジア系男性がやっと主演を演じるようになったからだと思うわ。彼1人で全員を満足させるのは無理! でも、男性のほうがまだ有利かもしれないわ。アジア系アメリカ人の男性は脇役扱いされる一方で、ジャッキー・チェンとかブルース・リーとかヒーローもいるでしょ。ほら、よく大学の寮の部屋に飾ってあったりするじゃない? 女性にはそういう存在がいない。なかには、アジア系アメリカ人だっていいじゃないか、魅力的で、セクシーで、理想の恋愛相手とみられてるんだから、っていう人もいる。そういう人たちには、女性のみんながみんなそういう風に見られたいわけじゃないのよ、って言ってやりたいわ。

ーアジア系の観客には、どんな風に映画を観てほしいですか?

まず、アジア系といってもひとつじゃないのよ、ひとくくりにはできない。東海岸出身のアジア系の人々は、自分たちは西海岸のアジア系とは違うって言うし、テキサス州やマンハッタンのアジア系とも違う。アジア系は好意的に受け入れてくれると思うわ。だって、ようやくアジア系アメリカ人の物語がメジャー系の映画として、大手映画会社の製作で登場したんだもの。だからこそ違和感も覚えるでしょうね。映画で描かれる物語が必ずしも自分の経験と一致するとは限らないし、自分たちの物語を描いてほしいと思っている人もいるだろうから。でもきっと今後はこういうチャンスはもっと増えると思う。たったひとつの物語で全体を語ることはできないものね。

ーレイジェルを演じるにあたって、とくに心がけたことはなんでしたか?

ラブコメは80~90代が全盛期でしょ。あの当時、ハリウッドはこぞってラブコメにつぎ込んでた。あまり成功しなかったのは王道主義に偏りすぎたからだと思う。だから、恋人同士のラブロマンスに、もっと深みを持たせなきゃと思ったの。アイデンティティや文化的な思い込みとか、互いに尊重することとか。この手の衝突は、映画の中だけじゃなく、何世代にもわたって日常で起きてきた。こういう諍いを経て、先入観を乗り越え、異なる国、異なる身分、異なる生活環境の赤の他人を理解しようとするの。こうした諍いを掘り下げていけば、きっと誰もが共感できると思うわ。

ーハリウッドにおけるアジア系俳優の起用を増やす戦いについて、今後ある時点で「ついにやり遂げた!」と思える瞬間は来ると思いますか?

それはアイコンの存在にかかってくるでしょうね。アジア系アメリカ人でも、ブリティッシュ系アジア人でも、アジア系オーストラリア人でもなんでもいいんだけど、マーロン・ブランドが誰なのかみんな知ってるみたいに、ドイツの大学生でも知ってるような存在が現れた時点で、時代が変わったなと感じられると思う。(アジア系には)著名なアーティストもいるけれど、彼らはまだ誰もが知ってるレベルには達してない。だから、成功のお手本として憧れるような若いアイコンを発掘しなきゃ。今のところまだ、そういう存在はいないわね。

ーこの映画は、その目標に大きな一歩を踏み出せると思いますよ。

そうね。少なくともそう願っているわ。ハリウッドの受け皿ができたかどうか、なんて問う時代は終わった。若い世代を見れば、ジェネレーションZの若者たちは誰にも媚びてないでしょう。自分の作りたいもの、自分好みのハリウッドを作っている。それが彼らの人生、彼らの物語。ジェネレーションZの世代から突出した人物が現れて、誰にも媚びることなく自分たちのコンテンツを作っていく。その時こそ、「そうよ、ついにやったじゃない、すごいわ!」って言えるんだと思う。時代はその方向に動き始めていると思うわ。

Translated by Akiko Kato

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