アレサ・フランクリン、最後のインタビューでビヨンセ、女性の権利、未来について語る

2014年、BET Honors 2014でのフランクリン (Photo by Larry French/BET/Getty Images for BET)

2014年に行った、アレサ・フランクリンのローリングストーン誌最後のインタヴュー未公開記事をお届けする。自由気ままなインタビューでソウル・クイーンは、アデルやテイラー・スウィフト、ビヨンセについて、そして自身の仕事を愛する理由を語ってくれた。

我々は彼女を「フランクリンさん」と呼ぶように指示された。2014年、アレサ・フランクリンは2014年にリリースした『グレート・ディーヴァ・クラシックス/Aretha Franklin Sings The Great Diva Classics』のプロモーションとして、ローリングストーン誌の取材を受け、さまざまな話題について語ってくれた。ちなみにこのレコードは、アリスタ・レコード時代に上司だったクライヴ・デイヴィスと久々に組んだ、彼女にとっても久々のプロジェクトであった。ただ、この取材の時期が少々まずかった。デヴィッド・リッツ著『Respect: The Life of Aretha Franklin(原題)』が同じ週に出版されたのである。リッツはフランクリンのゴーストライターをやっていた人物で、フランクリンの子供時代の悲劇的な出来事などを記したショッキングな内容の回想録の続編として、この本を書き上げた。そして、フランクリンはこの本に激怒していた。ニューヨーク市内のリッツ・カールトンのレストラン・ラウンジで、明るい色の毛皮のコートを着て、冬用の帽子から髪の毛をのぞかせたフランクリンが、その書籍の中の一節を示唆した私に向かって顔をしかめたのである。それはアレサが歌うときにどんなふうに精霊と交信するのかを彼女の妹キャロリンが説明している部分だった。「そんなこと、キャロリンは絶対に言っていないと思うわ」と、フランクリンが反論した。「第一、キャロリンらしくないもの。あれは彼女の言葉じゃないわ」と。

しかし、その後のフランクリンは徐々に力みが抜けてきた。特に、今後のプロジェクトに対する思い、最近のポップス界のヒットメーカーたちについて、政治についてなど、現在の事柄について語り始め頃には平静を取り戻していた。このインタビューは2014年のショート・プロファイルで掲載したが、そこで掲載しきれなかった会話がかなり残っていた。その中のハイライト部分をここで紹介しよう。

通常の報道慣行は許されなかった。インタビューを始めるとき、私はテープレコーダーを置き、フランクリンにこのインタビューを録音していいかと確認した。彼女は「ダメ」とにべもなく拒否した。そこで、ここでの会話を記事に書き起こすときに使うためだと説明するも「メモなら取ってもいいわよ」と。ここで録音終了。

相変わらずの完璧主義者だった。彼女の新作についての話を聞いたとき、クライヴ・デイヴィスはフランクリンの厳格なスタジオワーク倫理が相変わらず生きていることに感心したと言った。「レコーディングを始める前に少しの間、曲と一緒に過ごさないとダメなの」とフランクリン。「準備はそれだけよ。あとは作曲家が書いたメロディーを尊重するだけ。この尊重する気持ちができあがると、歌いたい曲は何でも、表現したいことは何でも歌えるようになるのよ」。

コロンビア・レコードでのオーディションでサム・クックの歌を歌った理由。
「私のオーディションは小さな部屋で行われて、そこに(ジョン)ハモンドさんがいたの。サム・クックの曲を数曲歌ったのだけど、確か「You Send Me(原題)」とか、そんな感じ。10代の私はサムに恋心を抱いていたの。10代の頃に姉妹とロサンゼルスにサムを訪ねて行ったとき、彼はスエードのジャケットを私にくれた。私が自分のファンだと知っていたのよ。本当に上品な人だったわ。たぶん、教会という場所が人に自然な上品さを恵むのだと思う。そして、生き方の原則や価値観もね」。

ローリングストーン誌が選ぶ時代を超えた最高のシンガー100人の第1位になって大喜びした。
「あれは本当に予想外だった」と、2008年のリストについてフランクリンが語った。「本当に予想外で、私は『なに? なに?』となって、少し間が空いて驚きを実感したって感じ。本当に素晴らしいことよ。夢みたいなこと。ありがとう、ローリングストーン。信じられないことだわ」。

Translated by Miki Nakayama

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