政治や世論をも動かした「アメリカの歌声」、アレサ・フランクリンの政治的影響力

アレサ・フランクリン、1975年のポートレイト(Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)


フランクリンの名声が絶頂に近づいた1970年、カリフォルニア州マリン郡にある裁判所の法廷から囚人を脱走させようとして殺人事件が発生した。ブラックパワーの活動家で哲学の教師だったアンジェラ・デイヴィスは、同事件に使用された武器を購入したとして、告訴された。デイヴィスは有名な共産主義者で、当時のニクソン大統領は彼女に“危険なテロリスト”というレッテルを貼っていた。ジェット誌は同年12月3日号で、“10万ドルだろうが25万ドルだろうが”、フランクリンがデイヴィスの保釈金の支払いを申し出ていると報じた。フランクリンは保釈金をエスクロー口座へ入れたものの、彼女が国外にいたため、保釈金の支払いを実行できなかった。最終的に保釈金は、ロジャー・マカフィーと言う名の革新主義の白人農場主によって支払われた。デイヴィスは後に無罪となっている。

フランクリンからの申し出は、軽視できない意思表示だった。彼女はジェット誌に対し、生まれながらの活動家でマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの手本となった父親のC・L・フランクリン牧師は、デイヴィスの保釈を手助けしたいという彼女に賛成しなかった、と語っている。しかし彼女は信念を貫いた。「アンジェラ・デイヴィスは自由になるべき。黒人は将来自由になる意志を持っています」とフランクリンは語った。「私は、デトロイトの平和を乱したとして勾留された経験があります。自分が平和を得られない時はその平和をかく乱すべきだと思います。留置所へ入れられるのは地獄。私たちの裁判所に公正さがあるなら、彼女は自由になれると思います。なぜなら私が共産主義者だという訳ではなく、彼女が黒人女性で、黒人の自由を求める人だから。私には保釈金を支払えるだけのお金がある。それは黒人から集めたもの。黒人が私をお金持ちにしてくれた。だから黒人を助けるために使いたいの」

フランクリン自身は、自分をデイヴィスのような活動家だとは思っていない。彼女はブラックパンサー党を支持し、キング牧師に帯同したこともあったが、自分の貢献度は彼らのそれに匹敵するものではない、と考えていた。2015年、CNNでアンカーを務めるドン・レモンが彼女を公民権運動の“最前線にいた”と表現した際にフランクリンは、彼の発言を訂正した。おそらく彼女は、バラク・オバマの最初の就任式で我々の勝利を称えて歌ったり、我々が敗北したキング牧師の葬儀で『Precious Lord』を歌うことが、自分の役割だと思っていたのだろう。彼女はまた、自由への道を突き進むことを強く促すために歌った。彼女自身は我々の闘いへの貢献度に関して謙遜していたが、彼女は我々にずっと寄り添ってきた。フランクリンは黒人に向かってアメリカを歌い、我々の体の奥底まで震わせた。

1960年代以降、ほとんどのアフリカ系アメリカ人は彼女の歌声を聴いて育った。フランクリンは、恋の浮き沈みやリスペクトを求めるといった一般的なテーマを通じ、我々が経験することを明確に表現した。彼女のやり方は、過去から現在まで一般にも通用し、かつアメリカに対する誠実さにも妥協がなかった。

フランクリンの歌は世界規模だが、黒人であり女性であるがゆえに政治的でもあった。オジー・デイヴィスによるマルコムXへの賛辞を借りて表現するなら、フランクリンは現代の黒人女性の代表だ。彼女のアーティストとしてのパワーは、アメリカのどのような音楽スタイルにも勝るだけでなく、祖母、母、姉妹まで過去から現在に至る女性たちの抑揚に合わせてパワーを発揮した。我々が聞き覚えのある聖歌隊の歌声や、おばあちゃんからの長距離電話から聞こえる声、そして今では、国で最も高い場所にある政治の説教壇からの声で、ポップチャートに入る曲を彼女は作った。

黒人が今後決して自分の声を失わないように、彼女の歌声はこれからも我々を導いてくれるだろう。アレサ・フランクリンの歌声は誰からも愛されたが、彼女は、自分の方がどれだけ皆を愛しているかを知らしめたのだ。

Translated by Smokva Tokyo

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