カマシ・ワシントンからMeTooまで、アメリカにおける21世紀ジャズ評論の革命

デヴィッド・ボウイの遺作、シーンとかけ離れた『ラ・ラ・ランド』の描写

ー同書で取り上げられているダニー・マッキャスリンのカルテットは、デヴィッド・ボウイの遺作『★(ブラックスター)』を彼と共にレコーディングしています。ボウイがニューヨークの55バーで彼らの演奏を目にしたというエピソードは広く知られていますが、彼はバンドのどういった部分に魅力を感じたのだと思いますか?

チネン:『★』が世に出る前に、バンドのメンバー全員と(ボウイと長年タッグを組んできたプロデューサーの)トニー・ヴィスコンティと話す機会があったんです。トニーはデヴィッドのことを最もよく知る人物のひとりですが、彼曰くボウイはバンドのエネルギー、そして一体感を気に入っていたようです。ボウイはアルバム制作に着手する前に、ダニー・マッキャスリン・カルテットの『Casting For Gravity』と、(マッキャスリン・カルテットのドラマー)マーク・ジュリアナの『Beat Music』を聴いておくようトニーに指示し、こう語ったそうです。「彼らがどのように音を鳴らすのかを、頭に叩き込んでおいてくれ。このアルバムでやろうとしているのはそういうことなんだ」

デヴィッド・ボウイは極めて優れた耳の持ち主であり、バンドのメカニズムをよく理解していました。マッキャスリンのバンドが持つ何かに、彼の嗅覚が反応したのでしょう。優れたロックのミュージシャンがジャズをやる場合と、優れたジャズのミュージシャンがロックをやる場合では、テンションが全く異なるとトニーは語っていました。彼らは求めるサウンドについて、はっきりとしたイメージを持っていたんです。

『★』はジャズではないけれど、あのアルバムはマッキャスリンたちなしでは生まれなかったはずです。あの作品には、実に多様な音楽の要素が混在しています。レコーディング中、メンバーの誰ひとりとして「これはジャズか否か?」などと考えはしなかったでしょう。あれはボウイとバンドのケミストリーから生まれたアルバムなんです。

ー本書の前半で、あなたは『ラ・ラ・ランド』と『サタデー・ナイト・ライブ』でのライアン・ゴスリングによるモノローグについて言及しつつ、ジャズを忌まわしきクリシェから「救わねばならない」と主張されています。あの映画はジャズに対する世間一般のイメージを向上させたのか、それとも捻じ曲げてしまったのか、どちらだとお考えですか?

チネン:一概にどちらとは言えないと思います。あの映画を通じて、多くの人々がジャズを身近に感じたのはいいことです。しかしあの映画で描かれているジャズのイメージはあまりに古典的で、現実のそれとはあまりにかけ離れていました。

業界側のメカニズムの改善も含め、ジャズが様々な面でサポートを必要としていることは事実です。難しい状況に置かれているのはジャズだけではありません。メインストリームの食い物にされないよう、我々は自分たちのカルチャーを守っていく義務があります。あの映画で描かれていたジャズのイメージは極めて保守的で、シーンの現状がまるで反映されていませんでした。ジャズのファンの大半は、あの作品に良い印象を持っていないでしょう。たかが映画なんだし気にする必要はないとする人もいますが、私はそうは思っていません。ジャズがあれだけの規模で注目を浴びる機会など、そうはやって来ないのですから。

Translated by Masaaki Yoshida

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