女性解放運動、波乱続きの私生活、アレサ・フランクリンの生涯を振り返る

1971年にサンフランシスコのフィルモア・ウェストで行われたショーは、境界を乗り越える彼女の才能を示す最適な例といえるが、それは決して最初から約束された成功ではなかった。同ライヴは、不朽の名作アルバム『アレサ・ライヴ・アット・フィルモア・ウェスト』で聴くことができる。「ヒッピーが私に対してどのようなリアクションをするか、全くわからなかった」と彼女は後に語っている。しかし彼女はカウンターカルチャーの群衆を圧倒し、彼女が簡単に音楽の垣根を超えられることを示した。彼女のヒーローであるレイ・チャールズが観客の中にいることを知ったフランクリンは、アンコールで彼をステージへ引っ張り出した。『スピリットイン・ザ・ダーク』の途中からピアノとヴォーカルを彼と代わり、2人は素晴らしい演奏を披露した。「彼女は会場を教会へと変えてしまった」とチャールズは後に語っている。「失礼な言い方かもしれないが、あの女は観衆から大きな喝采を受けた。彼女は最高に輝いていたんだ」



フランクリンの私生活は波乱続きだった――1968年、『タイム』誌はアレサの特集記事の中で、彼女の夫でマネージャーも務めていたテッド・ホワイト氏が公衆の面前で妻を暴行した事件を大々的に報じ、翌年2人は離婚した。だが、彼女の声は健在だった。1972年のライブ・ゴスペルアルベム『至上の愛~チャーチ・コンサート~』では自らの原点に戻り、200万枚のセールスを記録。さらにポップソングを聖歌のように歌いこなす彼女の才能は、1973年のスマッシュヒット「待ちこがれて」を生んだ。1974年のローリングストーン誌とのインタビューで、幸せを感じさせてくれるものは何かという質問に対し、彼女は「子どもたち」と答えた。「あとは、ちょっとしたパーティを開いて、ごちそうをたっぷり作ること。ゴールドレコード。それから、愛」



1970年代後半から、フランクリンは徐々にヒットチャートで順位を落とし、時代の流れに合わせようとする試みも無駄骨に終わった。ローリングストーン誌との2012年のインタビューで彼女はこう語っていた。「キャリアをスタートしたころ父親に言われたの。『お前がどんなに歌が上手でも、どんなに大きな成功を収めても、喝采はいずれ収まる。そしていつかは拍手も起こらなくなる。ついにはハレルヤもアーメンも聞こえなくなる。ファンも目の前からいなくなるかもしれない』。そうした兆しは何度かあったし、たしかに父の言う通りだった。ある時点で、私のレコードはぱったりオンエアされなくなった。父の言葉がすぐさま甦ってきたわ」

C.L.フランクリン牧師は1979年、自宅で強盗に遭い、銃で撃たれた(強盗の1人が発射した弾は牧師の大腿動脈を損傷し、牧師は5年間昏睡状態となった。そして1984年、娘の復活劇を目にすることなく息を引き取った)。フランクリンは1980年の映画『ブルース・ブラザーズ』に特別出演して強烈な印象を残したが、音楽人生は低迷したままだった。

Translated by Masaaki Yoshida , Akiko Kato, Smokva Tokyo

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