女性解放運動、波乱続きの私生活、アレサ・フランクリンの生涯を振り返る

米国現地時間8月16日(木)に膵臓がんにより逝去したアレサ・フランクリン (Photo by Michael Ochs Archives/Getty Images)


ところが「貴方だけを愛して」から全てが変わった。アトランティック・レコードのプロデューサーであるウェクスラーは当初、彼女を伝説的なマッスル・ショールズ・リズム・セクションと組ませた。そこで彼女は、「シンク」や「チェイン・オブ・フールズ」、「ナチュラル・ウーマン」等をヒットさせ、音楽的に開花した。「ナチュラル・ウーマン」は、キャロル・キング、ジェリー・ゴフィン、ウィクスラーによる作品だった。1967年春、オーティス・レディングのカバー曲「リスペクト」が、当時盛り上がっていた公民権運動やフェミニスト運動のアンセムとなった。フランクリンが、誰も成し遂げなかった方法でこれらふたつの世界を結びつけたのだ。「『リスペクト』は、公民権運動やフェミニスト運動と相まって世界的に大きな影響をもたらした」とウェクスラーは言う。「露骨な淫らさと混ざりあった、尊厳に対する要請だった。行動を呼びかける歌や、愛や性をテーマにした歌は他にもある。しかし、それらをひとつに合わせた歌はなかなか見つけられないだろう」



フランクリンはまた、ポップ音楽における偉大なインタープリターのひとりだった。ゴスペルのスタンダードだろうが、現代のソングライターの曲だろうが、彼女が歌えば全て彼女自身のものとなった。彼女のレコーディングは単なる“カバー”でなく、メイクオーヴァーだった。「ポール・サイモンの『明日に架ける橋』のように、彼女が歌えば原曲が誰のものかということを忘れさせる」と、1960年代後半から70年代にフランクリンと仕事をしたドラマーのバーナード・パーディは証言する。「ポール・サイモンの曲だとは誰も思わなかった。アレサが歌えば、何でもそれがオリジナル曲になるんだ。『リスペクト』も同じ。誰もオーティス・レディングの曲だとは知らなかった」

1967年〜1974年の間、彼女はR&Bのトップ10に33回ランクインした。また、グラミー賞の最優秀R&Bヴォーカル・パフォーマンス部門を1968年(『リスペクト』で受賞)から8年連続で受賞。さらに1982年、1986年、1988年にも同賞を受けている。1960年代後半から70年代前半にかけて、ラジオからはいつでもフランクリンの曲が流れていた。彼女はオリジナル曲、ロックやR&Bのカヴァーのほか、彼女のために書かれた曲(例えば『レット・イット・ビー』は、本家ザ・ビートルズよりも少しだけ早くリリースされている)を歌い、そのどれもが彼女によって純金へと変えられた。まだ黒人差別の残る時代、彼女は白人のラジオ視聴者にも難なく受け入れられた。彼女の歌う曲は、前途多難な恋愛をテーマにしたものが多いが、市民の解放運動を裏テーマとした曲もたびたびあった。

Translated by Masaaki Yoshida , Akiko Kato, Smokva Tokyo

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