魑魅魍魎のジョニー・デップ裁判、本人が内情を明かした密着ルポ

米ローリングストーン誌の記者は3日間に渡り、ジョニー・デップを密着した(Matt Mahurin for Rolling Stone)


ロンドンに話を戻そう。私はワルドマンと一緒に数時間かけてこのケースの不明点を見直していた。すでに日没後のそのとき、デップが登場した。実はこの滞在中、昼間に彼を見たことは一度もなかった。デップはパイレーツ風ホームレスの衣装を着て登場。ボロボロのジーンズに、ハンカチーフの飾りのついたオーバーサイズの白いシャツという出で立ち。彼のムードは感傷的と横柄さが半々というところだ。

TMGが誤解している点がいくつかあるとデップが主張している。例えば、毎月ワイン代として3万ドル使っていたとマンデル兄弟が主張していること。

「ワイン代が3万ドルなんて、俺にとっちゃ屈辱的だよ」とデップ。「だってそんな小額じゃなかったから」。

デップは、TMGのハンター・S・トンプソンの遺灰を大砲で飛ばした話も間違っていると言う。「それに、ハンターを空に飛ばした代金は300万ドルじゃない」とデップ。「あれは500万ドルだったぜ」。

デップが詳細を教えてくれた。彼はロケットで飛ばす代金が跳ね上がったのは、自由の女神の93メートルよりも30センチ上にトンプソンを飛ばしたいと言ったせいらしい。この部分は正確だろうが、実際に値段を調べたところ、デップはかなり大げさに言っていたようだ。さまざまな報道で大砲での発射に300万ドルかかったと言われているが、デップはもっと大きな数字を言いたかったのだろう。それこそ、彼の大好きなトンプソンはどんなに素晴らしい真実の話でも、必ず実際にはないディテールを加えてしまう癖があったのだから。

デップがブランドとトンプソンの影響を大きく受けていることは精神科医じゃなくてもわかる。デップにとって父親のような存在の彼らは、自分が世間で何と思われていても一切気にしなかった。デップとブランドは1995年の映画『ドン・ファン』で共演して以来、友人関係が続いた。デップがバハマ諸島に島を買ったとき、家を建てるなら海面より上じゃなければダメだと助言したのは、タヒチに島を持っているブランドだった。

デップとトンプソンの関係はブランドよりも直感的なものだった。クアールード(メタカロン)から文学までと、二人はさまざまな点でつながっていたのである。デップは、知り合う何年も前からゴンゾー・ジャーナリズム(※ジャーナリズムに通常求められる客観性ではなく、自らを取材対象の中に投じて本質を伝える手法。1960年代からローリングストーン誌に寄稿していた)の旗手トンプソンのファンだった。そして、テリー・ギリアム監督の1998年の映画『ラスベガスをぶっとばせ』でトンプソン役を演じたことでトンプソン本人と仲良くなったのである。この映画の撮影中から彼らはドラッグ仲間となり、その関係はその後も続いた。

夕食を待つ間、デップはアスペンの空港にトンプソンがデップを迎えに来たときの話をしてくれた。まるで本人のように聞こえる声で、デップはトンプソンのボソボソ喋りを真似ながら「なあ、家に着いたらお前に試してほしいものがあるんだ」と言った。

トンプソンはネバネバする樹脂をいっぱいに詰めたパイプをデップのために用意していた。デップが一服すると、一瞬で部屋が回ったと言う。ハンターはショックを受けたようだったとデップ。「彼は『ヤバイな、こりゃ。どこかのガキが持ってきたんだけど、俺は一服したら内臓が出るって思うくらい吐きまくったぜ』と言ったんだ」と。

デップは、そのパイプに入っていた樹脂のようなものの正体を遂に発見できなかったと言った。彼らの絆を深めたもう一つの共通点は、薬剤に関する百科事典並みの知識だった。この夜遅く、デップはドラッグシーンからクアールード(鎮静剤・催眠剤)が消えてしまって悲しいと言い、当時彼が使っていた密輸したクアールードの思い出を語り始めた。

「この密輸ものには少量のヒ素かストリキニーネが使われていたのさ」とデップ。彼は立ち上がって満面の笑みを浮かべて続けた、「だから本物のクアールードよりも速攻でハイになった」と。一度などは、もっとハイになりたくて、密輸クアールードでキメた自分を殴ってくれと、フロリダのとある店の用心棒に頼んだことがあったらしい。「殴られると、笑いたくなるか、仲間と一緒にいて幸せを感じるか、セックスしたくなるか、ケンカしたくなるかのどれかだ」。

デップは麻酔薬の使用の布教活動に熱心で、麻酔薬を使っていたらオサマ・ビン・ラディンをもっと早く捕まえられていたと考えている。

「飛行機を何機も飛ばして、ヤクを空中散布すりゃあいい。そしてLSD-25を投下するだけ」とデップ。「その場所に集中投下すれば、洞穴から出てくる連中は全員笑顔だぜ」と。

ブランドとトンプソンの死によって、デップは自分の空想の世界の理解者を失った。

ここロンドンで、デップは深い物思いに耽り、最近の苦悩も彼らなしで耐えていることを考える。イカれた天才が、旅立っしまったイカれた天才仲間を恋しがっているのだ。デップの人生が危機に瀕しているのに、彼を理解する親友たちはもういない。デップは生気のない目で自分の孤独を見つめる。「マーロンとハンター」とデップ、「俺には彼らが必要だった」。


デップの弁護士アダム・ワルドマン

10年以上、ジョニー・デップにとって良いことはジョエル・マンデルにとっても良いことだった。そして財務責任者はその方針を維持するために数多くの手続きや手配を行っていた。彼はロサンゼルスの自宅に特別な電話回線をひいて、昼夜問わず、デップがいつでも連絡できるようにしていた。マンデルの妻の40歳の誕生日に、彼は100人のお客を自宅に招いてパーティーを行った。そんな状況であっても、マンデルはデップに連絡して、最近の財務面での冒険について聞きたいことがあればいつでも連絡してくれと伝えた。妻の誕生パーティーはいつでも中座できると言って。

良い関係を維持していたときは、マンデルはデップに自分の目標を教えていた。それは、デップが支払いのために役を引き受けなくてもいいように、彼の財政面を安定させることだった。しかし、彼らはその目標を果たせなかった。TMGの訴訟によると、デップの銀行残高は常に半年分の生活費程度だったが、これが飛躍的に悪化したのが『パイレーツ・オブ・カリビアン』シリーズが始まったあとだと言う。このシリーズ作品がデップにもたらしたのがおおよそ3億ドル(約330億円)。デップは常に評価の高い俳優だったが、そんな彼を世界規模のアクション俳優にしたのがジャック・スパロウであり、映画1本の出演料を3000万ドルに押し上げたのもジャック・スパロウだった。しかし、デップの趣味と嗜好はワイルドさを増していく。そして、マンデルとクリスティの日常会話では、デップが新しい家を買うのをやめさせよう、新しい家を買う金を得るために出演する作品を見つけるのをやめさせようという話題が行ったり来たりするようになった。

Translated by Miki Nakayama

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