魑魅魍魎のジョニー・デップ裁判、本人が内情を明かした密着ルポ

米ローリングストーン誌の記者は3日間に渡り、ジョニー・デップを密着した(Matt Mahurin for Rolling Stone)


夕食を食べていたとき、収入が安定してきたときに最初に買った大きな買い物は何だったかを彼に聞いてみた。彼はジョイントを紙で巻いて、最初に私、次にワルドマンに渡して言った。自分の母親の家だった、と。そして、フェラーリじゃなかった、と。

「俺の母親はケンタッキー東部のクソ田舎で生まれて、12歳でフェノバルビタール中毒だったのさ」とデップ。

デップは4人兄弟の末っ子として育ち、母親ベティ・スーに育てられた。彼の父親は土木技師だったが、ほとんど家にいなかった。デップの家族は最初ケンタッキーで暮らし、のちにフロリダへ引っ越したが、デップによると引っ越した回数は40回を下らないらしい。彼の母親は手当たり次第何でも投げつけたが、それでも彼にとっては母親だった。「ああ、訳もわからず殴られたこともあるし、灰皿が飛んできたこともある。電話で打たれたこともあったかな」と言って、デップが一瞬静かになった。そして「あの家は廃屋だった。誰も一言も話さなかった。子供の頃の俺が他人に対して思ったことは、特に女の人に対しては『俺なら治せる』しかなかったよ」と続けた。

デップが一番覚えているのは、ウェイトレス仕事のダブルシフトを終えて帰宅した母親の姿だと言う。母親がチップの小銭を数えている間、デップは彼女の足をさすっていた。彼は最初に大金が入ったとき、ケンタッキー州レキシントン郊外に小さは馬牧場を母親にプレゼントした。

「ベティ・スー、俺はあんたを崇拝していたぜ」とデップがおどけて言ったが、すぐに微笑みは消えた。「運転しているときの母親は本当にひどかった」と言って、2016年の母親の葬式で言った言葉を私に教えてくれた。「俺の母親は今まで会った中で一番卑劣な人間だったと思う」と。

母親に家を買ったあと、デップは自分へのご褒美として1940年のハーレー・ダビッドソンを購入した。これは今でも持っている。1986年から2006年まで、彼が出演した映画は32本。それこそ、その後生涯のコラボレーションとなるティム・バートンの『シザーハンズ』から、高評価を得た『フェイク』での潜入捜査員まで、一世代に一人いるかいないかの幅の広い役柄を演じた俳優と言えるだろう。

そうやってキャリアを積む過程で、デップは大げさな人生が習い性となった。1990年代初頭にはロサンゼルスのナイトクラブ「ザ・ヴァイパー・ルーム」を買った。かつて、ギャングのベンジャミン・シーゲルが足繁く通った古い酒場を、デップは小さなロッククラブに改装し、ガンズ・アンド・ローゼスからジョニー・キャッシュまであらゆるロック・ミュージシャンが出演する場所にした。このクラブでドラッグの過剰摂取で死んだのがデップの友人だったリバー・フェニックスで、デップはこの事件を何とか耐え忍んだ。このとき、デップがスーパーで売っている雑誌にドラッグを忍ばせてフェニックスに届けたという噂が流れた。「そんな噂の中で生きる気持ちを考えてみてくれ」と言ったデップの目が曇った。

デップは熱血漢のハリウッド・ヒーローになることを嫌った。『エド・ウッド』の主役を演じたときにアドバイザーの一人がデップに叫んだと言う。

「その男は俺にこう言ったよ、『ジョニー、服装倒錯のD級映画の監督の白黒映画を作っているじゃない。女とヤリまくって、銃を持ち歩く映画だ。だから女とヤッて、銃を持ち歩かなきゃダメだ』ってね」。


姉クリスティに支払われた合計700万ドル(約7億7千万円)も訴訟の一部に組み込まれた。

デップのビジネスで唯一普遍の人物が姉のクリスティで、彼女がデップの日常を管理していた(彼女に何度もコメントを依頼したのだが、一度も返事がなかった)。1999年、当時彼が所属していたマネージメント会社では激増した彼の財務管理が難しくなり、大きな会社に移らざるを得なかったのである。その頃のデップは彼が「ドラキュラの城」と名付けたサンセットブルバードにある8000平方フィート(約743平方メートル)の豪邸に引っ越していた。ある日、彼は財務管理者たちを面接することにした。その日の最後の面接が、すでにTMGを経営していたロバートとジョエルのマンデル兄弟だった。デップは会った途端にジョエルに親近感を覚えたと言う。ジョエルはアウシュヴィッツを生き延びた家族の末っ子で、デップはウマが合うと直感したのである。「彼は精神的に参っていたよ」とデップ。「とても優しくて、とても壊れていた」と(TMGはデップのこの表現を認めていない)。

そこで私はデップに聞いてみた、「壊れたおもちゃ」と表現できるような人間に金の管理を任せた理由は何かと。デップの答えは、家族的な感覚を持ったから、だった。「俺をよく観察するとわかるけど、俺の性格のさまざまな側面に共通しているのが間違いや失敗で、俺も壊れているんだよ」。

もっと深く追求しようと試みたが、デップに落ち着きがなくなった。このマンションは不気味なほど静まり返っている。今、朝方の3時か4時頃だろうか。デップのシェフも警備員も全員いなくなった。そんな時間にもかかわらず、デップの頭は宇宙空間で飛び回るボールのように、人生のある場面をランダムに思い出しては話し続けている。次に彼が話し始めたことは、去年グラストンベリーで起きた出来事だった。そこで、たぶん酔っ払っていたデップが「ここにトランプを連れて来られないか?」とMCをして、「最後に俳優が大統領を暗殺したのっていつだっけ?」と続けたのだ。このコメントでデップはメディアからバッシングを受けたのである。「トランプは五番街で人を殺すこともできると言って暗殺とトランプを結びつけようとしたんだけど、上手く言えなかったんだよ」と、肩をすくめながらデップが説明した。

Translated by Miki Nakayama

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