マーキー・ラモーン、人気シェフの故アンソニー・ボーデインを偲ぶ「彼は正真正銘のパンクだった」

二度目はチャイナタウンだった。シェフが持ってきたのはカニ。このカニが本当に辛くて、インドの激辛料理チキンビンダルーよりも辛かった。おかげで店を出るときは汗ばんでいたよ。身体から30℃くらいの熱を発していたと思う。でも、料理は最高に美味かった。トニーは冒険が大好きだった。何でも体験したがりだった。それが彼の好きなことだった。

トニーは何でも食べたし、あれは本当に見事だったよ。面白いのは、俺たちが食事するとき、カメラがあるとトニーは絶対に完食しない。適度につまむ程度で、休憩を待つ。そして次の皿に移る。トニーは俺を「ガボーン」って呼んでいた。これは大食いって意味。俺、何でも食べるからね。それにズルズル音を立てて食べる。これはトニーも同じだった。ダニエル・ブールーのDBGBでよく会って、音を立てながらご飯を食べていたもんだよ。

あと、俺とトニーのもう一つの共通点は、俺の祖父さんが40年代から50年代にかけてコパカバーナや21クラブでシェフをやっていたこと。だから、俺たちは料理のこと、食材のこと、パスタソースを美味しくする方法なんかもよく話していた。俺たちの共通点は音楽だけじゃなかっzのさ。食べ物は俺たち二人とも大好きなテーマだったからね。

 トニーは正真正銘のパンクだった。ほら、トニーを見てみなよ。彼は自分がやりたいことをやっていただろう。余計なことに惑わされないようにして、自分のライフスタイルを維持していた。これって簡単じゃない。だから、彼の中にちょっとした焦燥感があることに俺は気付いていた。でも、人生の一時期にドラッグなんかをやると、それが自分の身体の中にずっと居残るし、取り除くのが本当に大変なんだ。俺の中にも同じような悪魔が昔住んでいたら、トニーのその感覚を理解できる。俺はその悪魔を退治したけど、トニーがどんな感覚かは理解できた。そんなふうに、テレパシーみたいな感覚が俺たち二人の間にはあったんだよ。

 とにかく、トニーは普通の男だった。「よお、トニー、レストランで会おうな」とか「よお、元気か?」とか言って普通に話せる、そんなヤツだった。カメラの前でもカメラがいない所でも、トニーはまったく変わらなかったね。みんな、彼を才能あふれたパンクロック・シェフとして記憶しなきゃな。彼こそが“シェフ&ロックスター”というジャンルを作った張本人なんだから。

Translated by Miki Nakayama

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