ブルース・スプリングスティーン『闇に吠える街』あなたが知らない10の真実

1. 『闇に吠える街』はEストリート・バンドとスプリングスティーンが一緒にライブ録音した最初のアルバムだが、素早さや効率の良さはなかった。

1977年の夏、ギターのマイアミ・スティーヴ・ヴァン・ザント、サックスのクラレンス・クレモンズ、ピアノのロイ・ビッタン、オルガンのダニー・フェデリチ、ベースのガリー・タレント、ドラムのマックス・ワインバーグで構成されたEストリート・バンドは、ツアーでの経験からスプリングスティーンの思いつきにもテレパシーのように呼応できる強力なバンドになっていた。スプリングスティーンにとって、彼らと一緒にスタジオで次回作の新曲をライブ録音することは当然のことだった。しかし、スプリングスティーンが究極のサウンドを求め続けたためにレコーディングは一向に進まなかったのである。ニューヨークのアトランティック・スタジオでのサウンドに納得できなかったスプリングスティーンは、スタジオをレコード・プラントに変えてレコーディング・セッションを仕切り直した。そのあと、共同プロデューサーのジョー・ランドー、エンジニアのジミー・アイオヴィンは、完璧なドラム・サウンドを手に入れるために、スプリングスティーンと一緒にこのスタジオで終わりの見えない日々を過ごすことになる。

「レコード・プラントのスタジオBから出てくる一つのサウンドを何日も聞き続けたのは本当に辛かった。マックスがスティックでタムを叩く音だけが永遠に続くんだから」と、スプリングスティーンが自叙伝『ボーン・トゥ・ラン〜』で綴っている。そして同書で「結局、俺たちはアマチュア・プロデューサーで、サウンドをテープに録音する物理の基礎をまったく理解していなかった」と認めた。「録音された音は相対的だ。ドラムが音の強力さを保ちながら音量を加減すると、大きなギター・サウンドを入れられるスペースができる。また、パワフルなギターでもスッキリと引き締まったサウンドだと、家ぐらい大きなドラム・サウンドを入れるスペースができる。ただ、すべてのサウンドを特別なものとして入れ込むことは不可能だ。それをしてしまうと、結局は特徴が一切ないサウンドになるだけなのだ」と。究極のサウンドを探すというチャレンジに、次から次へと楽曲が生まれる状況が加わり、このアルバムのレコーディングは1978年3月まで続けられたのである。

2. アメリカのクラシック映画作品『捜索者』と『エデンの東』がアルバム収録曲と全体の流れに大きな影響を与えた。

『闇に吠える街』は本来の意味での“コンセプト・アルバム”ではないのだが、スプリングスティーンはアルバム収録曲に映画的な雰囲気を持たせたいと思った。ジョン・フォード監督の『捜索者』や1940年代、1950年代のフィルム・ノワールの犯罪ドラマを見ているうちに、そうしたいと強く思うようになったと言う。

「落ち着きや固定された行動は一切ない」と、1978年のアルバム・リリース直後にローリングストーン誌のポール・ニルソンにスプリングスティーンが語っている。「ある動きを捉えてそれを見ていると、いきなりカメラがパンしてその場面を離れる。今さっき起きたことがそこで起きたことのすべてってこと。俺が作る曲も同じで、始まりも終わりもない。カメラが特定の出来事にいきなりズームインして、少ししたらズームアウトするだけだ」と説明した。

このアルバムをミックスしたチャック・プロットキンが2010年のドキュメンタリー『闇に吠える街 The Promise: The Darkness on the Edge of the Town Story』で、スプリングスティーンが曲と曲が一つの映画作品のストーリーのように流れる感じにしたかったと、当時を思い出して語っていた。オープニングの「バッドランド」から、エリア・カザン作品『エデンの東』(1955年)の影響でシニカルな歌詞になった2曲目の「アダムとケイン」までの流れを、「君にやってほしいことはこれだ。今、映画館にいると思ってくれ。スクリーンでは恋人たちがピクニック中だ。そこに、いきなり死体の映像が映し出されて君はショックを受ける。アルバムでこの曲(「アダムとケイン」)が聞こえるたびに、この曲はこの“死体”になるんだよ」と、スプリングスティーンがプロットキンに説明したのだった。

Translated by Miki Nakayama

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