ジャネール・モネイが語る、セクシュアリティの秘密、プリンスとの関係

ジャネール・モネイ(Photo by Matt Jones for Rolling Stone)



1985年12月1日、ジャネール・モネイ・ロビンソンはこの街で、用務員として働いていた母親と、21年間続くドラッグ中毒のリハビリの真っ只中にいた父親との間に生まれた。2人はモネイが1歳の誕生日を迎える前に離婚したが、彼女を引き取った母親は後に、ジャネールの妹となるキミーの父親の男性と再婚している。

彼女が生まれ育った地区に足を踏み入れた途端、我々は彼女の親戚の多さを実感することになった。彼女の従兄妹、叔父と叔母、そして彼女自身が当時住んでいた家は同じ通りに並んで建っており、それらはすべて母方の祖母の所有物だったという。そこから徒歩数分の場所には、パステル調の外壁が目を引く父方の曽祖母の家がある。実の父親とその家族が住んでいた家に、彼女は幼い頃から頻繁に出入りしていた。

彼女の父親は刑務所行きを繰り返していたため、彼が13年前にドラッグ中毒を完全に克服するまでは、父娘の関係は決して平穏ではなかったという。そこから車で数分の距離には母方の叔母にあたるグローの自宅があり、我々はそこでモネイの母親と対面を果たした。彼女の叔母のファッツは、親戚の間でのモネイのニックネームが「パン(プ)キン」であることに触れた上で、満面の笑みを浮かべてこう話した。「彼女は私のいちばんのお気に入りなの」

モネイは労働者階級の人々が多く暮らす、クインダロという地区で育った。南北戦争の直前、ネイティブ・アメリカンと奴隷解放運動の当事者たちによって作られたその町は、地下鉄建設の奴隷労働から逃れてきた黒人たちのシェルターとなった。我々が訪れる数週間前には、近くにある奴隷解放主義者ジョン・ブラウンの銅像に、何者かが鉤十字のマークとともに「サタン万歳」と落書きする事件が起きたという。銅像は既に元の姿に戻っていたが、彼女の曽祖母は苦々しそうにこう話した。「犯人がこの地区に住む人間じゃないことは確かね」。何度も首を振りながら、彼女はこう続けた。「よそ者の仕業よ」


14歳の頃のモネイ(Courtesy of Janelle Monae)

カンザスシティにおけるミズーリ側の住民の大半は白人だが、モネイが育ったコミュニティでは黒人が大多数を占めていた。「自分のルーツが知りたくて、いろんな本を読んだわ」。彼女はそう話す。「知れば知るほど腹が立った。浅黒い肌の人々は、ずっと不当な扱いを受けてきたの」

彼女の家族は極めて信心深く、発言の大半には神への感謝の言葉が含まれていた。現在91歳のモネイの曽祖母は、今でも町の聖書学校の管理人を務めている。彼女は訪れた我々にゴスペルの合唱を促し、ピアノの前に座って伴奏を始めた。モネイは叔母と従兄妹と共に、「Call Him Up and Tell Him What You Want」と「Savior, Do Not Pass Me By」を歌った。

カンザスシティに滞在していた間、モネイは始終リラックスしていた。ツアーで近くにやって来る場合を除けば、ホリデーシーズンにしか会えない親戚たちを前にしてはしゃぐ彼女は、無意識のうちに中西部訛りで喋っていた。幼少期の写真の数々で作られたセピア色のポスターを眺めながら、彼女は母親の膝に頭を乗せて丸くなっている。「この子はいつもみんなを笑顔にしてくれたわ」。叔母のファッツはそう話す。

Translated by Masaaki Yoshida

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