ローリング・ストーンズを支えた名プロデューサーの知られざる15の真実

1969年ロサンゼルス、キース・リチャーズとミック・ジャガーとプロデューサーのジミー・ミラー(Photo by Robert Altman/Michael Ochs Archives/Getty Images)


2. 『無情の世界』でドラムを叩いているのは、チャーリー・ワッツではなくミラーだった

「僕が考えたリズムパターンを皆が気に入ってくれたんだけど、チャーリーはその再現に手こずっていた」ミラーは『Inside Tracks』でそう述べている。「謙虚で人柄も良いチャーリーを前に、僕は何度か同じパターンを叩いてみせた。すると彼はこう言ったんだ。『すごくいいよジム、これは君が叩くべきだ』」
「レコーディングにおけるドラミングについて、僕はジミーから多くを学んだ」ワッツは『アコーディング・トゥ・ザ・ローリング・ストーンズ』でそう述べている。「彼のおかげで、僕はドラマーとして大きく成長することができた。彼との共同作業によって、バンドはキャリアを代表する作品を生み出していった」

またミラーは『ハッピー』『ライトを照らせ』『ダイスをころがせ』のアウトロ部でもドラムを叩いているほか、『ギミー・シェルター』『モンキー・マン』『キャント・ユー・ヒアー・ミー・ノッキング』等では各種パーカッションを担当している。彼が得意だったのはカウベルだけではないということだ。

3. 『ホンキー・トンク・ウィメン』でカウベルを叩いたのはミラーだった

渡英以前からミラーと交流があり、後に(過小評価が著しい)スプーキー・トゥースで彼と仕事を共にするミュージシャンのゲイリー・ライトは、ミラーについてこう語っている。「彼は優れたプロデューサーであるばかりでなく、ミュージシャンとしても一流だった。レコーディングでイメージ通りのパフォーマンスが録れない時なんかは、自らカウベルを手に取って凄まじいスキルを見せつけて、皆を唖然とさせたもんさ」

ストーンズの『ホンキー・トンク・ウィメン』のレコーディング時に、ミラーはまさにその行動に出ている。「グルーヴを掴みきれずに苦戦していたメンバーを前に、ミラーは2段式の小さなカウベルを手に取り、曲のあるべきテンポを示してみせた」エンジニアのアンディ・ジョンズは、ロバート・グリーンフィールド著『Ain’t It Time We Said Goodbye』でそう語っている。「ジミーは素晴らしいグルーヴと、クールなサウンドを生み出す達人だった」

ツアーにおいて、バンドはミラーによる唯一無二のパフォーマンスの再現に悪戦苦闘した。「『ホンキー・トンク・ウィメン』を演る時は、イントロは音源とは違うアレンジにしていた」ワッツは『アコーディング・トゥ・ザ・ローリング・ストーンズ』でそう述べている。「ジミーのカウベルか僕のどちらかがずれてるように感じていたけど、キースが入ってきた瞬間にすべてがカチッとはまった。あの曲のグルーヴは、音楽理論家たちが何年もかけて研究しても解明しきれないだろう。実際にはミステイクだったものの、それが功を奏したんだ」

4. 1968年、ミラーとビル・ワイマンはストーンズの音源が収録されたテープを火災現場から救出した

ストーンズがオリンピック・スタジオで『悪魔を憐れむ歌』のレコーディングに臨んでいた際、現場には同タイトルの駄作映画(原題は『ワン・プラス・ワン』)を撮影中だったフランス映画界の巨匠、ジャン=リュック・ゴダールが同席していた。ベーシストのビル・ワイマンは自伝『ストーン・アローン』において、ある日の深夜のセッション中に、撮影クルーの照明機材が原因でスタジオの屋根に火が点いた時のことについて綴っている。「メンバーが次々と脱出する中、俺が考えたのはテープを確保することだった。ジミーと俺は猛ダッシュでコントロールルームに向かい、保管室にあったテープを確保してから、一目散に逃げ出した」ワイマンはこうも綴っている。「全員が脱出した数分後、到着した消防車が火を消した。ギターやアンプはもちろん、ハモンドオルガンからカメラまで、スタジオ内のあらゆる機材が水浸しになった。消防士たちが帰った後、俺とジミーは無傷で済んだテープをスタジオ内の保管室に戻して、安堵しながら帰宅した」

Translated by Masaaki Yoshida

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