『LOUD』創刊者TOMO HIRATAが語る、エレクトロニック・ダンス・ミュージックの20年

1994年から2011年まで発行されていたクラブ系音楽専門誌『LOUD』(Photo by Yoko Yamashita)

1994年から2011年まで発行されていたクラブ系音楽専門誌『LOUD』の創刊者でもある、ミュージック・クリエイター/DJのTOMO HIRATA。エレクトロニック・ダンス・ミュージックの現場を見続けてきた彼が、この20年のシーンのポイントを語った。

「EDMとPOPがクロスオーバーした今、ヨーロッパでは原点回帰の動きがある」

ハウスとヒップホップっていうのが並行して時代を走ってきたなかで、『LOUD』という音楽雑誌はハウス系の流れを汲む媒体なんですけど、ハウス・ミュージックがヨーロッパで人気が出た頃から、このシーンは大きくなっていったんです。ルーツとなっている人たちは1990年代にみんな出てきて、90年代初期のレイヴ・シーンからプロディジーが、クラブ・シーンからアンダーワールドやケミカル・ブラザーズ、そのちょっと後にダフト・パンクが登場した。アンダーワールドやケミカルはJunior Boys Ownっていうレーベルから音源を出していて、ロック・テイストを取り入れたりっていう点では、80年代後半からあるバレアリックの流れを継承した人たちでした。

レイヴのカルチャーっていうのはジャングル/ドラムンベースに発展していくんですけど、90年代末になると今度はフィルターハウスが流行って、そのなかからブレイクしたのがベースメント・ジャックス。フィルターハウスはフランスでも人気があって、のちのフレンチ・エレクトロにつながったりします。あと同時期に人気が爆発したファットボーイ・スリム。彼はハウス・ビートを発展させて、四つ打ちじゃないビート、ビッグ・ビートを生み出した人です。当時はトランスもすごく流行っていて、今も活躍するアーミン・ヴァン・ブーレンやティエストはその頃出てきました。

その後、イギリスのクラブ・シーンの盛り上がりが落ち着いてきて、それ以降はビッグネームが出てこなくなったんです。影響力のあるアーティストはすべて90年代の人たちで、2000年代にデビューした人たちでビッグネームというとジャスティスくらいですかね。彼らはダフト・パンク・チルドレンですけど、ハウスとかヒップホップというよりは雑食だった。それをエレクトロと呼んだんですね。こうしたシーンをビジネスとして仕掛けに行ったのがデヴィッド・ゲッタ。もともとハウスの人なんですけど、彼が2000年代後半にアメリカでブラック・アイド・ピーズとかと組んで積極的に売り込んだ結果、EDMブームが起こったんだと思います。

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