「前向きに音楽制作に取り組んでいた」アヴィーチーの最期の日々を友人たちが語る

アヴィーチーことティム・バーグリング(Photo by Cim Ek)

DJ・プロデューサーとして世界的スーパースターとなったアヴィーチーことティム・バーグリング。彼の生涯とともに最期の日々を、関係者の証言から紐解く。2014年、アヴィーチーはキャリアが始まった頃から仕事の量が正気の沙汰じゃないんだ。ほんの少し休むことすらできない」とローリングストーン誌に語っている。

アヴィーチーにとって、それはゆっくり過ごせる機会だった。2018年4月8日、長期間のレコーディングを終えたスウェーデン人DJはオマーンへと旅立った。サウジアラビアの東側にある国にいる王族の友人を訪ねたのだが、レコーディングの出来栄えがよく興奮していた彼は、仕事を忘れて過ごすことは不可能だった。オーマンに到着した翌日、彼はマネージメント・チームとの電話会議を招集し、新しい音楽を演奏するゲストを誰にしたいかを彼らに告げた。それから数日間、この件に関するメールが何度も行き来した。「彼のメッセージはどれもハッピーな雰囲気だった」と、ユニバーサル・ミュージック・スウェーデンの代表ペール・サンディンが教えてくれた。その頃、サンディンはアヴィーチーのためにコラボレーションが可能なアーティストのミーティングを手配していたという。「彼は出来上がった作品を本当に気に入っていた」とサンディンは言う。また、オマーンでのアヴィーチーはポーズをとってファンと一緒に写真を撮り、友人たちとカイト・サーフィンやセイリングにも出掛けていた。

アヴィーチーは必ずヒットを生むDJ兼プロデューサーだった。彼が作るハウスビート、ポップで中毒性のあるメロディ、北欧的な端正な容姿が、彼をEDM界きってのスーパースターに押し上げたのである。そんな彼が4月20日に王族メンバーが所有する敷地内で自殺したというニュースは衝撃的だった。

このニュースは彼の近くにいた関係者たちも驚かせた。健康とアルコールの問題に取り組むため、ツアーから撤退した後のアヴィーチーの前向きな変化を、彼らは身近で見ていた。「彼が送っていた生活は、どこに行っても、彼が登場した瞬間に大騒ぎになるというものだった」と、アヴィーチーとコラボレーションしたインキュバスのギタリスト、マイク・アインジガーが言う。「でも近頃の公私のバランスは、彼が求めていたものに近づいていたようだった」と語っている。

アヴィーチー、本名ティム・バーグリングは1989年、シットコム・ドラマの女優とビジネスマンの両親の間に誕生した。10代のバーグリングは、ストックホルムにある自宅の寝室で作ったトラックを、人気のあるEDMサイトに投稿するようになり、彼が作るシャープなフックは同世代のDJとは一線を画していた(アヴィーチーと仕事をしていたゲフィン・レコードの重役ニール・ジェイコブソンによると、アヴィーチーにとっては、コールドプレイが“金字塔”だったらしい)。仏教用語「無間地獄」を表すサンスクリット語の「アヴィチ」を友人から教えてもらった彼は、これを自分の芸名にすると決めた。

Translated by Miki Nakayama

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