BOOM BOOM SATELLITES 中野雅之が語る「川島道行と過ごした時間、そしてこれからのこと」

中野雅之から見た川島道行の素顔

ー当時の川島さんはどんな感じでした?

中野 やんちゃだったと思う。でもナイーブな人だったし、お調子者で自信家でもあるんだけど、「川島くん、今日のライブは良くなかったよ」って言うとものすごく落ち込んでました(笑)。上がったり下がったりがとんでもなく大きかった人で、大人になるとその幅はだんだん狭まって落ち着いてきてあまりブレないんだけど、知り合ったばかりの川島くんは本当に気分屋さんというか、急に曲を作ろうって詰め寄ってきたり、作ろうと思ったら2~3週間放置されたり(笑)、そういう人でした。

ー当時は携帯電話もないから、中野さんが川島さんの家に行って曲を作ろうと思ったら川島さん出かけちゃったみたいな。

中野 家電に留守電を残すとか、公衆電話から家に電話をかけるとかそういう時代なので、約束を取り付けてその日をめがけて家に行ったらちょうど遊びに行くところだったり(笑)。“じゃあ帰ってくるまでに作っておくから”っていうこともよくあったし、当時はそういう振り回され方をしていましたね。

ー逆に中野さんが川島さんを振り回すことはあったんですか?

中野 僕が川島くんを振り回すとしたら、“もっとちゃんとやろうよ”って(笑)。

ー基本的に関係性は変わってないんですね。

中野 そうですね。デビューしても考え方とか人生の中のプライオリティは僕と違う人で。だから、まったく同じ考え方の人が集まって音楽を作っても面白くも何ともない。考え方は違って当然なんだけど、考え方の違いとか生き方の違いは曲や歌詞にも現れるので、溝を埋めるのにものすごく労力を使うことになります。バンドの音楽という一つの塊というか生き物にするために、たくさんディスカッションして2人の溝を埋め合わせして、作品を作り上げるっていうことをずっとやり続けましたね。最初の頃はその溝というのが……溝というよりはまったく違う生き物かと思うくらい、この人は一体何を考えて生きてるんだろうってさっぱりわからないくらい性格も考え方も何もかもが違う人だったんですけど、20年以上一緒に過ごして、バラバラだった2人が同じものを見たときに同じ感想や印象を持つようになってきて。だんだん一つになるというか、バンドという人格が出来上がっていくんです。そういうのがすごく面白いというか。家族よりも長い時間を過ごした人なので。



ー初めて取材したのがアルバム『ON』のときだから2006年なんですけど、10代の頃から作品を聴いていたしライブにも行っていて。当時はSNSもそんなに流行ってないし、みんなやっていない状態だったから、基本的にこの人たちはとても怖い人たちなのだろうと思ってました。


中野 実際どうでした?

ーお茶目さにびっくりしました。ニコ動を見ている人はそのお茶目っぷりを知ってらっしゃると思うんですけど、当時は全然知らなかったから、初めてインタビューした後にスタジオでレコーディングを見させてもらったりして、2人でワチャワチャやっているときのお茶目な感じが衝撃的だったんです。

中野 そうなんですかね(笑)。ほとんど幼馴染みというか、あるいは兄弟のようで、2006年だと振り返ればまだ道半ばですけど、友達という関係自体は切れたことがないんです。曲を作っていたりライブのリハーサルをしていたり、スイッチが入っているときはすごく張り詰めたものがあるし、音楽制作のことでぶつかることは日常的にありますけど、ゴハンを食べたりコーヒーを飲むタイミングだったり一度そのスイッチが切れてしまえば、ただの友達に一瞬にして切り替えることができるので、側から見たら普段のバンドの音楽からは想像がつかないでしょうね。

ー特にレコーディングではずっと2人でスタジオにこもっているのに、ちゃんとオン/オフが切り替えられるのがすごいなと思いました。

中野 特に秘訣はないですけどね。ただ友達だからなだけで。そういう意味では、僕はバンドの片割れを失いましたけど、友達を失ったところも寂しいというか。これから生きていく方法が変わるというか。お互いが寄りかかって支え合って、何とか立っていたところもあったと思うので、そういうことにも向き合っています。

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