アジカン後藤正文が初の主宰アワードを総括「この賞はカウンターでありたい」

「こういう音楽がより届く環境を、皆で耕していかないといけない」

ー審査員の皆さんの視座もいろいろでしたね。

後藤:今回参加していただいた片寄さんと日高さんはものすごく物知りで音楽に詳しくて、音楽を歴史的な文脈で捉えるのが得意ですよね。僕はどちらかというとサウンドで聴いてしまうので。「どういうふうに録って混ぜているんだろう」「あ、そのエフェクトのかけかた面白い!」というような部分に耳がいきやすい。また、あっこちゃん(福岡晃子)の場合、彼女は本当に作詞が素晴らしくて、だからこそ言葉の面やパッションの部分に注目する……といったように、それぞれ強く引っかかるところが違うのも面白いと感じました。今後はミュージシャンの一つひとつの技術に対して賞を送るような形も模索したいですね。そういう細かい部分に分けて評価できたら面白いけれど、選考に時間がかかりますけどね。審査も大変でしたが、ノミネート作品を選ぶ時点でも悩みました。最後の15〜20作品から10作品へ絞るのは本当に大変で。「きっとこの人たちはステップアップして、今作じゃなくても今後この賞にノミネートされるんだろうな」という期待を込めて、今回は見送った作品もあったし。それは本当に難しい判断でした。

ー心を痛めながら選ぶのも大変だった、と。とはいえ個人主催だからこそあまり決めごとを作らず好きなようにやってみよう、という。

後藤:そうですね。でも最終的には個人賞じゃなくなったらいいなとは思います。これは僕が最初に作ったというだけで、だんだんと賞の形も変えてこの先受け継がれていったらうれしいですね。とにかく重要なのは、「この賞は重箱の隅の価値観だ」と思っていないことです。サブカルチャーの賞にしたくない。カウンターでいたいです。ニッチじゃないものにしていきたいですし、ここにある作品が本来はメインストリームなんだと思ってやりたい。ノミネートの10作は全て「もっともっと聴かれておかしくないのに!」と思っている作品ばかりだしね。だから、こういう音楽がより届く環境を、皆で耕していかないといけないなとは思っています。

ー音楽活動をすることにおいて、メジャーとインディの差はなくなってきているとはいうものの、届け方や制作の仕方についての課題もある、ということでしょうか?

後藤:お金の回り方や、プロモーションも含めた制作費のやりくりといった部分はいろいろ変わってきているでしょうけど、そもそもそんなに音楽の中でお金が回っていないっていうのが実際のところじゃないですかね。大きいレコード会社だってビルが小さくなって部署も減っている。それが現在の日本の状況ですよね。寂しいことではあるけれど、メジャーも昔みたいな体力がないんだなっていう。あとは、何もかもを東京でやろうとしたら、お金がかかる。東京の街中に立派なスタジオを作って大きな音を出そうとしたら当然難しい。もっと制作の現場を郊外へと逃がしていくのもありなのかな、とか。アメリカだと普通に田舎のぶどう園の小屋みたいなところとか、民家とか、結構自由に録音している。人が住んでいないから防音しなくていいし、大きい音も出せていい録音できるなって。でもね、こういうサウンドの話は、基本的にはリスナーに向けているつもりはなくて。こういう音楽雑誌を読んでバンドやってる子たちとか、これからミュージシャンになろうって思ってる子や、いつかはそう思うかもしれない人たち、未来のミュージシャンに届いたらいいなと思いつつ、話していますけどね。

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